原文:如是我闻。一时。佛住王舍城伽兰陀竹园。尔时。世尊告罗睺罗。比丘。云何知。云何见。我此识身及外境界一切相。令无有我我所见。我慢使系着。罗睺罗白佛言。世尊为法主。为导为覆。善哉。世尊当为诸比丘演说此义。诸比丘从佛闻已。当受持奉行。
佛告罗睺罗。谛听。谛听。善思念之。当为汝说。罗睺罗白佛。唯然。受教。佛告罗睺罗。当观诸所有色。若过去.若未来.若现在。若内.若外。若粗.若细。若好.若丑。若远.若近。彼一切非我.不异我.不相在。如是平等慧如实观。
如是受.想.行.识。若过去.若未来.若现在。若内.若外。若粗.若细。若好.若丑。若远.若近。彼一切非我.不异我.不相在。如是平等慧如实观。
比丘。如是知如是见。我此识身及外境界一切相。令无有我我所见,我慢使系着。罗睺罗。比丘如是识身及外境界一切相。无有我.我所见.我慢使系著者。超越疑心。远离诸相。寂静解脱。是名比丘断除爱欲。转去诸结。正无间等。究竟苦边。时。罗睺罗闻佛所说。欢喜奉行。
解釈:世尊は羅睺羅尊者に仰いました。比丘はどのように証知し、どのように見るべきか。七識からなる五陰身および身外の一切の境界相の中に我も我所もなく、自分に我見・我所見と我慢の結使の繋縛を持たせないようにするには、どうすればよいのか、と。羅睺羅は仏に申し上げました。世尊は法の主宰者であり、衆生の導首・導師であり、衆生を覆い護ることができます。どうか世尊は諸比丘のためにこの義を演説してください。諸比丘は仏の説法を聞いた後、受持して奉行するでしょう、と。
仏はなぜ法主なのでしょうか。法主とは法の主宰者ということです。仏はすでに一切の法を証得し、一切の法を所有しておられ、まさに仏法の主宰者なのです。一切の法はみな仏の自心から流出しており、知らない法は一つもなく、証得していない法は一つもなく、法において自在であられるため、法主と呼ばれるのです。我見と我慢は二種の結使であり、衆生をしっかりと繋縛して生死に沈淪させ、解脱を得させません。我見があるからこそ我慢があり、我見には我所見も含まれます。
仏は羅睺羅に仰いました。我見と我慢の結使の繋縛を断除したいなら、色陰を観察しなければなりません。過去の、未来の、現在の、色身の内の、色身の外の色陰を含み、これらの法には粗いもの、細かいもの、美しいもの、醜いもの、現在から遠いもの、現在から近いものが含まれます。この一切の色法はいずれも我ではなく、我所でもなく、しかも我と我所は互いに存在し合うものでもありません。これこそが平等の智慧であり、如実の観察なのです。
同じように受想行識も、過去の、未来の、現在の、色身の内の受想行識、色身の外の受想行識を含み、粗重な受想行識、微細な受想行識、善い受想行識、悪い受想行識、現在から遠い受想行識、現在から近い受想行識を含みますが、この一切はいずれも我ではなく、我所でもなく、我と我所は互いに存在し合いません。このように観察することこそ、平等の智慧による観察であり、如実の観察なのです。
仏は仰いました。比丘はこのように証知し、このように見るべきです。すなわち、この七識身および身外の一切の境界相は我ではなく我所でもなく、我慢の結使の繋縛もないのです。羅睺羅よ、五陰の身心に我なく我所なしを証得し、我慢の繋縛のない人は、疑心を超越し、五陰を我とする疑見を断除し、内心は五陰の一切の相から遠離し、心は寂静と解脱を得ます。このような比丘は愛欲を断除し、すべての煩悩結使を取り除き、念念に正知して、生死の苦の边际に到達し、最後に究竟解脱するのです。
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