衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2019年10月16日    水曜日     第1 回の開示 合計1969回の開示

雑阿含経 第一巻(十四)

如是我聞。一時、仏は舎衛国の祇樹給孤独園に住まわれた。その時、世尊は諸比丘に告げられた。「我れ昔、色の味に求め行じたり。若し色の味に随順して覚ったならば、色の味を智慧をもってありのままに見るのである。かくの如く受・想・行・識の味に求め行じ、若し受・想・行・識の味に随順して覚ったならば、識の味を智慧をもってありのままに見るのである。

比丘たちよ。我れ色の患いに求め行じたり。若し色の患いに随順して覚ったならば、色の患いを智慧をもってありのままに見るのである。かくの如く受・想・行・識の患いに求め行じ、若し識の患いに随順して覚ったならば、識の患いを智慧をもってありのままに見るのである。

比丘たちよ。我れ色の離れに求め行じたり。若し色に随順して覚ったならば、色の離れを智慧をもってありのままに見るのである。かくの如く受・想・行・識の離れに求め行じ、若し受・想・行・識の離れに随順して覚ったならば、受・想・行・識の離れを智慧をもってありのままに見るのである。

比丘たちよ。我れ五受陰について味は味、患いは患い、離れは離れとありのままに知らざりし時は、諸天・魔・梵・沙門・婆羅門・天・人衆の中にあって脱せず、離れず、出でず、永く顛倒に住し、自ら阿耨多羅三藐三菩提を証得すること能わざりき。

比丘たちよ。我れ五受陰の味は味、患いは患い、離れは離れとありのままに知りし故に、諸天・人・魔・梵・沙門・婆羅門・天・人衆の中にあって脱し、離れ、出で、永く顛倒に住することなく、自ら阿耨多羅三藐三菩提を証得し得たり」。時に諸比丘は仏の説かれたことを聞き、歓喜して奉行した。

釈:世尊は比丘たちに仰せられた。「私が昔、色陰に味着し、色陰を愛楽していた時、色陰に対していつも貪求と欲求を抱き、色陰のために身口意の行を造作しながら自覚せず、徒らに生死を受けた。もし自らの色陰への貪着を覚り、この覚りに随順するならば、智慧が生じ色陰の真実の滋味をありのままに見、色陰が全て苦であると知り、色陰の束縛から解脱するのである。

私もまた昔、受想行識四陰の滋味に貪求し、そのために身口意の行を造作し、受想行識に縛られ解脱できなかった。もし受想行識に覚りを生じ随順するならば、智慧が生じ受想行識の滋味をありのままに見、それらが苦であり無我であると証し解脱するのである。

世尊はさらに仰せられた:「昔、色陰の種々の過患をありのまま知らなかったため、貪求を起こし、過患ある色陰のために身口意の行を造作し、これらの行に縛られ解脱できなかった。もし色陰の過患を覚り随順するならば、智慧が生じ色陰の過患をありのままに見、色陰が貪求に値しないと知り解脱するのである。

私もまた受想行識の過患をありのまま知らず、貪求を起こし生死の業を造作し、これらの業に縛られていた。もし過患を覚り随順するならば、智慧が生じ受想行識の過患を見、貪求を離れ解脱するのである。

昔、色陰から離れるべきことを知らなかったため、貪求を起こし色陰のために業を造作し、縛られていた。色陰を離れるべきことを覚り随順するならば、智慧が生じ色陰を離れるべきことを知り解脱するのである。

受想行識を離れるべきことを知らなかったため、貪求を起こし業を造作し、縛られていた。離れるべきことを覚り随順するならば、智慧が生じ受想行識を離れるべきことを知り解脱するのである」。

世尊は仰せられた:「五受陰の味・患・離をありのまま知らなかった昔、私は諸天・人・魔・梵・沙門・婆羅門衆の中にあって生死を脱せず、永く顛倒に住し、阿耨多羅三藐三菩提を証得できなかった。

比丘たちよ。五受陰の味・患・離をありのまま知った私は、諸衆の中にあって解脱し、顛倒を離れ、阿耨多羅三藐三菩提を証得したのである」。

法を自らの身心に対照させ、貪愛欲求をありのままに知り、その過患を観じ解脱心を起こせば、次第にこれらの貪愛から離れるのである。ありのままの知見は容易でない。人は皆自らを甘やかし、貪心に逆らわず、故に修道は進まず、観行は成就せず、心行は転じず、苦悩より解脱しないのである。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

雑阿含経 第一卷(一三)

次の記事 次の記事

雑阿含経 第一巻(二四)

ページのトップへ戻る