衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年10月05日    土曜日     第4開示 合計1957開示

外の法塵がなければ外の五塵は有り得るか

法塵は五塵のいずれかと和合して初めて、単独の一つの塵境を構成することができます。法塵と五塵は分けることができず、分けてしまえば何も存在しなくなり、色もなく、声もなく、香もなく、味もなく、触もなく、法塵もなくなってしまいます。法塵と五塵が和合して構成する塵において、法塵が占める割合は非常に大きく、ほとんど法塵が主となっています。例えば色塵について言えば、色彩は五塵境に属し、眼識が了別するものであり、それ以外はすべて法塵であって、意識が了別するものです。二つの識の了別が合わさって初めて、色塵の完全な了別となるのであり、どちらか一方が欠けてもならず、とりわけ意識による了別である法塵が欠ければ、何も存在しなくなってしまいます。したがって、法塵がなければ、五塵境はそもそも存在し得ず、一体的な塵境である以上、法塵を欠くことはできないのです。

例えば、人の色身は色彩と色法塵から構成されています。色彩は眼識が了別するものであり、それ以外はすべて意識が了別する内容で、背の高低、体の太痩せ、体重、気質、イメージ、年齢、性格、気性、素質、健康か不健康かなどが含まれます。したがって、法塵がなければ色身は存在しません。では、衆生の如来蔵が衆生の色身を出生させるときには、必ず色彩と法塵を同時に出生させ、声塵と法塵を出生させており、これらが衆生の色身の本質境を構成しているのです。他人が見るときも、やはり衆生の幻化境、すなわち自分の内六塵を見ているのです。外法塵がなく、外五塵だけがあるということはあり得ず、単独の五塵境というものは存在せず、世俗界にはこのような法は存在しないのです。

——生如法師の開示
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真妄の識をはっきりさせなければ開悟は不可能

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意根が同時に全体の法を了別する

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