初地の菩薩は百法明門を証得しなければならず、二地の菩薩は千法明門を証得しなければならず、三地の菩薩は万法明門を証得しなければならない。菩薩は一つの法を証得するごとに、一つの無明を破り、一つの邪見を覆し、一つの見地を得て、一分の智慧を増し、思惑煩悩あるいは習気が一分減り、その行いが一分清浄になる。すべての法を証得し、一切の無明見惑を破り、仏のような智慧見地を得て、思惑が断尽して残らず、仏道を修め終えるまで続く。
小乗の法も同様であり、五蘊無我の理について、どの程度に証得すれば、その程度の無明を破り、その程度の見地を得て、その程度の智慧を増し、その程度の思惑を破るあるいは断除するのである。
要約すると、見地がどの程度かによって行いもその程度に至り、実証とは言ったことを成し遂げることであり、虚証とは言うだけで実行できない、口先だけのものに過ぎない。
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