衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2018年10月26日    金曜日     第5 回の開示 合計959回の開示

実証と虚証の違い

初地の菩薩は百法明門を証得し、二地の菩薩は千法明門を証得し、三地の菩薩は万法明門を証得しなければなりません。菩薩は一つの法を証得するごとに、一つの無明を破り、一つの邪見を覆し、一つの見地を得て、智慧が一分増し、思惑や煩悩、あるいは習気が一分減り、その行いが一分清浄になります。全ての法を証得し、一切の無明見惑を破り、仏と同じ智慧の見地を得て、思惑が残らず断じ尽くされ、仏道を修め終わるまでです。

小乗の法も同様に、五蘊無我の理について、どの程度を証得するかによって、その程度の無明を破り、その程度の見地を得て、その程度の智慧を増し、その程度の思惑を破り、あるいは断除します。

まとめますと、見解がどの程度であるかによって、行いもその程度に至ります。実証とは言ったことを成し遂げることであり、虚証とは口先だけで実行できないことに過ぎません。

——生如法師の開示
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