想いそのものも生滅するものであり、あなたがずっと考え続けることは根本的に不可能です。想いの内容を変換せずに一つの事柄を考え続けることも、同様にできません。意識がどれほど考えようとも、その事柄が意根にとって重要でないと判断され、より重要なことがあるとされれば、意識は他のことに移り、考える心も失われます。夜に考えすぎて眠れなくなるのは、意根が事柄に執着し、意識を行きつ戻りつさせるためです。意根が一旦空性を得て事柄から解放されれば、意識は直ちに滅し、眠りに就くのです。
生滅変異する想いは、来る所なく、去る所なし。来るときは跡形もなく、去るときは影もない。どこに「想いが我である」と言えるでしょうか。思いが千々に乱れる時、思考の念を追跡しても終始その跡形を見出せず、まさに思考している最中にも、念は空であります。何が念か?何が思想か?念じる人事はどこにあり、想う事理は何方に在るのか?思惟する識心とは何ものか?捉えられず、了々として得る所なく、空々たるのみ。生滅無常の法は、言葉で説き明かすべくもなく、執着しようとしても執着できず、振り返って探しても全く跡形もありません。
昨夜は枯れ枝に風雨が襲い、今朝は霧露に斜陽が照らす。前世には故人への思いを念じ続け、今生では忘れ合い路人となる。
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