衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年08月02日    金曜日     第1 回の開示 合計1748回の開示

《増一阿含経》巻第四十六

原文:十一の法ありて阿羅漢の習わざるもの。いずれか十一なる。漏尽の阿羅漢は終に法服を捨て白衣の行いを習わず。漏尽の阿羅漢は終に不浄行を習わず。漏尽の阿羅漢は終に殺生せず。漏尽の阿羅漢は終に盗まず。漏尽の阿羅漢は食に余りを留めず。漏尽の阿羅漢は終に妄語せず。漏尽の阿羅漢は終に群類と相佐けず。漏尽の阿羅漢は終に悪言を吐かず。漏尽の阿羅漢は終に狐疑なく。漏尽の阿羅漢は終に恐懼せず。漏尽の阿羅漢は終に余師を受けず。また胞胎を受くること更になし。諸賢士よ、これを漏尽の阿羅漢の終に十一の地に処さざると謂う。

釈:十一種の法ありて阿羅漢の再び造作せざるもの。第一に、煩悩尽きたる阿羅漢は永劫に袈裟を捨て白衣の世俗事を行わず。第二に、煩悩尽きたる阿羅漢は永劫に不浄なる男女の欲貪を有せず。第三に、煩悩尽きたる阿羅漢は永劫に殺生せず。第四に、煩悩尽きたる阿羅漢は永劫に盗みをせず。第五に、煩悩尽きたる阿羅漢は食事に余食を留めず。第六に、煩悩尽きたる阿羅漢は永劫に妄語せず。第七に、煩悩尽きたる阿羅漢は永劫に徒党を組み団体の頭目とならず。世俗の人情と異なり、独りを好み群れを助け植えることを好まず、自我の欲望思惑なし。第八に、煩悩尽きたる阿羅漢は永劫に悪口を発せず。第九に、煩悩尽きたる阿羅漢は永劫に佛法に対し狐疑不信なし。第十に、煩悩尽きたる阿羅漢は再び恐懼の心を生ぜず。第十一に、煩悩尽きたる阿羅漢は小乗の無学聖人にて、他者に生死解脱の小乗法を修学する要なく、母胎に入ることもなし。これをもって漏尽阿羅漢の永劫に十一の境地に処さざると称す。

若し阿羅漢が些かでも世間法に心を留むれば、即ち阿羅漢にあらず。故に阿羅漢は皆出家者にて、在家の生活を一日も送らず。若し還俗せば直ちに三果の者となる。但し世間法の中で三月を超えて生活せば、厭離の心起こり再び出家して四果阿羅漢を証得せん。

仮に還俗の阿羅漢あるも、これ慧解脱の阿羅漢にて、禅定は特に優れず。俱解脱の阿羅漢は永劫に還俗の念を起こさず、些かも世間法に耐えず。

大乗菩薩たる者、仮に三果四果を証得するも、世間法にて生活するを好まず、世俗事を為さず。無量の財宝あれども取るを欲せず、心を費やすを好まざるなり。衆生を度するため共に在るは已むを得ざる事なり。共に在るとも心は遠離す。弘法に銭を用うるとも、銭を得んと心を用いず、非法と世間法に迎合せじ。

——生如法師の開示
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