衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年08月01日    木曜日     第2 回の開示 合計1746回の開示

識心は身体の中にあるでしょうか

色蘊尽と受蘊尽はどちらも證得されていないが、理論的に受蘊尽の状態を説明できます。楞严経によると、受蘊尽時には心が身から離れ、つまり身体には意識心がなく、受覚もなくなります。疼痛や軽安舒适の覚受も消失します。その時、殺剐や宰割されても痛楚なく、手足頭目を解知しても痛覚なく、身体は木のように。では、識心は身体の中にあるのでしょうか?

識心が色身の中にあるなら、色身を一点ずつ割開すれば識心が見つかるはずですが、无论如何も見つからないため、識心は色身の中にありません。識心が色身の外にあるなら、色身と関係なく、色身には五蘊の機能作用もなくなります。故、識心も色身の外にありません。識心が中間にあるなら、そもそも中間の概念や处所もありません。もし身体の表面を中間と呼ぶなら、それは誤りです。身体の表面は色身属します。もし身体の表面外に挨着的处所を中間と呼ぶなら、それは色身の外属します。故、識心も色身の中間にありません。

では、識心はどこにあるのでしょうか?六識が何を了別しても、了別的是影子であり、外界六塵の原貌ではありません。原貌は第八識が了別し、本质境と呼ばれます。

——生如法師の開示
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