衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年07月31日    水曜日     第4開示 合計1744開示

如何にして六魔を降伏すべきか

原文:有六魔钩。云何为六。眼味著色。是则魔钩。耳味著声。是则魔钩。鼻味著香。是则魔钩。舌味著味。是则魔钩。身味著触。是则魔钩。意味著法。是则魔钩。若沙门婆罗门。眼味著色者。当知是沙门婆罗门。魔钩钩其咽。于魔不得自在。

解釈:仏は六つの魔の鉤鎖があると説かれました。何を六というのでしょうか?眼識が眼根の処で色法に貪着し、色法に面白みがあると考えるなら、これが一つの魔の鉤鎖です。耳識が耳根の処で声塵に貪着し、声塵に面白みがあると考えるなら、これが一つの魔の鉤です。鼻識が鼻根の処で香塵に貪着し、香塵に面白みがあると考えるなら、これが一つの魔の鉤です。舌識が舌根の処で味塵に貪着し、味塵に面白みがあると考えるなら、これが一つの魔の鉤です。身識が身根の処で触塵に貪着し、触塵に面白みがあると考えるなら、これが一つの魔の鉤です。意識が意根の処で法塵に貪着し、法塵に面白みがあると考えるなら、これが一つの魔の鉤です。もし沙門・婆羅門が眼識などにおいて眼根などの処で色塵などに貪着しているなら、この沙門・婆羅門は魔の鉤に喉を鉤られていると知るべきであり、この人は魔に対して自在を得られないのです。

仏陀の比喩は非常に生き生きとしています。魔羅の魔の手が六本の鎖を握り、いつでも私たちの六根の門頭に潜み、機を窺って私たちの喉を絞めようとしています。六塵に対して少しでも貪愛を生じれば、首に一本の魔羅の鉄の鎖が掛かり、喉に魔の鉤が鉤ります。持戒して六塵に執着しなければ、魔の手から脱することができ、持戒せず、心が六塵に執着すれば、必ず魔に縛られます。欲界の六塵はまさに魔が衆生を縛るために用いるものであり、六塵への欲があれば欲魔に支配されます。魔に支配されれば、苦悩から離れられません。それゆえ持戒すべきであり、魔の擾乱から遠く離れるべきなのです。

原文:一天,魔波旬打扮成一个蓬头垢面的放牛人,假装寻找走失的牛。到世尊前问。瞿昙。见我牛不。世尊作是念。此是恶魔。欲来乱我。即告魔言。恶魔。何处有牛。何用牛为。魔作是念。沙门瞿昙知我是魔。而白佛言。瞿昙。眼触入处。是我所乘。耳鼻舌身意触入处。是我所乘。复问。瞿昙。欲何所之。

解釈:波旬は世尊の前に来て世尊に問いました。瞿曇よ、私の牛を見なかったか?世尊は一目見て、悪魔が来て私を悩乱しようとしていると知り、悪魔に告げて言いました。悪魔よ、どこに牛があるというのか?お前は牛を何のために使うのか?悪魔は世尊にすでに見破られたと知り、世尊に言いました。瞿曇よ、眼根の触入処は私の乗り物であり、耳根・鼻根・舌根・身根・意根の触入処は私の乗り物です。さらに問うて言いました。瞿曇よ、お前はどこへ行こうというのか?

原文:佛告恶魔。汝有眼触入处。耳鼻舌身意触入处。若彼无眼触入处。无耳鼻舌身意触入处。汝所不到。我往到彼。尔时天魔波旬。即说偈言。若常有我者。彼悉是我所。一切悉属我。瞿昙何所之。

尔时世尊说偈答言。若言有我者。彼说我则非。是故知波旬。即自堕负处。魔复说偈言。若说言知道。安隐向涅槃。汝自独游往。何烦教他为。

解釈:世尊は悪魔に告げて言いました。お前には眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根の触入処があるが、しかし他の人にはこの六根の触入処がないなら、お前はそれらの処所には到達できない。私はそれらの処所へ行くことができる。この時、天魔は偈を説いて言いました。もし常住の我があるなら、眼耳鼻舌身意はすべて我所であり、一切の法はすべて私に属する。瞿曇よ、お前はどこへ行けるというのか?

この時、世尊は偈を説いて波旬に答えました。もし誰かが常住の我があると言うなら、その人が言う我は実は非我です。それゆえ、私はお前の波旬が自ら負けの処に堕ちたことを知る。魔はさらに偈を説いて言いました。もし涅槃の道を知っており、安穏に涅槃へ趣向できると言うなら、お前は自分一人で行けばよい。わざわざ他人を教導して何になるのか?

原文:世尊复说偈答言。若有离魔者。问度彼岸道。为彼平等说。真实永无余。时习不放逸。永离魔自在。魔复说偈言。有石似段肉。饿鸟来欲食。彼作软美想。欲以补饥虚。竟不得其味。折嘴而腾虚。我今犹如鸟。瞿昙如石生。不入愧而去。犹鸟陵虚逝。内心怀愁毒。即彼没不现。

解釈:世尊はさらに偈を説いて答えました。もし魔障から離れた者がいて、涅槃の彼岸へ渡る道を問うなら、私はその人たちのために平等に法を説き、最も真実の解脱の真理を教導し、遺すところがありません。衆生が受学した後、精勤して不放逸を修習すれば、永遠に魔の縛りから離れて大自在を得ることができます。魔王はさらに偈を説いて言いました。一つの石が肉の塊のように見え、飢えた鳥が飛んできてそれを食べようとし、心の中でこの石を柔らかく美しいものと想い、自分の飢えを補おうとしました。しかし啄んでも啄んでも、ついにその味を味わうことができず、鳥の嘴を折ってから空へ飛び去りました。私は今まさにその鳥のようであり、瞿曇は石が生えているようなもので、口に入れることができず、恥じて去り、鳥が虚空を越えて逝くようでした。私の内心には憂愁の毒を懐き、直ちにその場から消えて、二度と現れませんでした。

——生如法師の開示
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