原文:六つの魔の鉤あり。何をか六と為す。眼は色に味わい執着する。是れ即ち魔の鉤なり。耳は声に味わい執着する。是れ即ち魔の鉤なり。鼻は香に味わい執着する。是れ即ち魔の鉤なり。舌は味に味わい執着する。是れ即ち魔の鉤なり。身は触に味わい執着する。是れ即ち魔の鉤なり。意は法に味わい執着する。是れ即ち魔の鉤なり。若し沙門婆羅門が眼に色を味わい執着するならば、当に知るべし、是の沙門婆羅門は魔の鉤がその喉を鉤かけり、魔に自在を得ずと。
釈:仏は六つの魔の鉤鎖を説きたまう。何を六と為すや。眼識が眼根において色法に貪着し、色法に趣味あると認むれば、これ即ち一つの魔の鉤鎖なり。耳識が耳根において声塵に貪着し、声塵に趣味あると認むれば、これ即ち魔の鉤なり。鼻識が鼻根において香塵に貪着し、香塵に趣味あると認むれば、これ即ち魔の鉤なり。舌識が舌根において香塵に貪着し、香塵に趣味あると認むれば、これ即ち魔の鉤なり。身識が身根において触塵に貪着し、触塵に趣味あると認むれば、これ即ち魔の鉤なり。意識が意根において法塵に貪着し、法塵に趣味あると認むれば、これ即ち魔の鉤なり。若し沙門婆羅門の眼識等が眼根等において色塵等に貪着するならば、当に知るべし、この沙門婆羅門は魔の鉤に喉を鉤かけられ、この人は魔に対して自在を得ず、魔の意のままにされると。
仏陀の比喩は甚だ形象的なり。魔羅の魔手は六条の鎖を握り、常に我々の六根の門頭に潜伏し、機を伺って我々の喉を締めんとす。六塵に少しでも貪愛を生ずれば、頸には魔羅の鉄鎖が掛かり、喉には魔の鉤が刺さる。戒律を保ち六塵に着かざれば魔手を脱するを得、戒律を保たず心に六塵に着けば、必ず魔に縛らる。欲界の六塵は即ち魔が衆生を縛るに用いる所、六塵の欲ある者は欲魔に把持さる。魔に把持さるれば苦悩を離れず、是の故に戒律を保ち魔の擾乱を遠離すべし。
原文:或る日、魔波旬は蓬髪垢面の牛飼いに扮し、失せし牛を探す振りをして世尊の前に至り問う。瞿曇、我が牛を見しや。世尊は是の念いを為したまう。此れは悪魔なり、我を乱らんと欲するなり。即ち魔に告げたまう。悪魔、何処に牛あらん。何をか牛を用いん。魔は是の念いを為す。沙門瞿曇は我を魔と知りぬ。而して仏に白す。瞿曇、眼触入処は我が乗ずる所なり。耳鼻舌身意触入処は我が乗ずる所なり。また問う。瞿曇、何くにか之かんと欲する。
釈:波旬は世尊の前に至り問う。瞿曇、我が牛を見しや。世尊は一見して悪魔の来たりて惱乱せんとするを知りたまい、即ち悪魔に告げたまう。悪魔、何処に牛あらん。汝は何をか牛を用いん。悪魔は世尊が既に己を見破りたまいしを知り、世尊に白す。瞿曇、眼根触処は我が乗ずる所なり。耳根、鼻根、舌根、身根、眼根触処は我が乗ずる所なり。六根即ち我が牛なり。また言う。瞿曇、汝は何くにか往かんとするや。
原文:仏は悪魔に告げたまう。汝には眼触入処あり。耳鼻舌身意触入処あり。若し彼に眼触入処なく、耳鼻舌身意触入処なきならば、汝の到らざる所、我は彼に到らん。爾の時、天魔波旬は即ち偈を説く。若し常に我ある者あらば、彼は悉く我が所有なり。一切は悉く我に属す。瞿曇は何くにか之かん。
爾の時世尊は偈を説きて答えたまう。若し我あると言わば、彼の説く我は即ち非我なり。是の故に波旬を知る。即ち自ら堕負の処に堕つ。魔また偈を説く。若し道を知ると言わば、安穏に涅槃に向かわん。汝は独り往くに足る。何ぞ煩わして他を教えん。
釈:世尊は悪魔に告げたまう。汝には眼根、耳根、鼻根、舌根、身根、意根の触処あり。然るに他の人にはこの六根触処なし。然らば汝はこの処所に到ること能わず、我は却ってこの処所に到ることを得ん。この時天魔は偈を説く。若し常住の我あらば、眼耳鼻舌身意は悉く我が所有なり。一切の法は我が所有に属す。然らば瞿曇汝は何くにか往かんとするや。
この時世尊は偈を説きて波旬に答えたまう。若し誰か常住の我有りと言わば、彼の説く我は即ち非我なり。是の故に汝波旬は自ら己をして堕負の処に堕ちしむるを知る。魔また偈を説く。若し汝が涅槃の道を知り、安穏に趣向し得ると言わば、汝は独り往くに足る。何ぞ煩わして他人をもまた涅槃に趣向せしめんとするや。
原文:世尊また偈を説きて答え
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