その時、比丘たちは世尊のおられる場所で、多くが疲れて眠り、容貌も衰え、自らを保つことができなかった。そこで世尊は顔面から輝きを放たれ、蓮華が開くが如くになられた。すると比丘たちは皆目覚め、各自姿勢を正し、このように思った「今や仏世尊の御顔は輝きに満ち、光明が朗らかに照り渡っている。どのような法の眼を開き、大いなる利益をもたらそうとされているのか」
この時、賢護勝上童真は姿形が豊かに整い、柔和で光沢ある色相を具え、六万の商人たちに前後を囲まれ、侍従の群れが地響きのような音を立てながら仏のもとに到来した。仏世尊を見るに、静寂で安らかな衆徳の蔵であり、巍々として赫奕たる姿は大いなる金樹の如くであった。深く信心を起こし、合掌して思惟し「衆人共に称賛するように、仏は一切智をもって一切を普く見通される。まさに如来阿羅訶・正等覚者にして誠実虚妄なし」と念じ、仏足を頂礼し、まっすぐに視て立った。
釈:この時、比丘弟子たちは世尊の講堂において、多くが疲れて睡魔に襲われ、顔色も衰え、まさに自制を失い眠りに落ちんとしていた。仏が説法される中、比丘たちはすでに疲労し、あくびをしたり居眠りしたりして姿勢を保てずにいた。
世尊はこの状況をご覧になり、比丘たちを覚醒させるため神通力を示された。「面門輝発」とは蓮華が開くが如く光輝を放たれたことを意味する。比丘たちは仏の神通力と輝きを見て睡気を払い、精神を回復して姿勢を正し「仏が今や神通を現し、光明を放たれたのは、いかなる大法を説き衆生に大利益をもたらそうとされるのか」と考えた。
賢護勝上童真とは在家者で、童子身を保ち、卓越した福徳あるいは智慧を有する者を指す。その美しい外見は前世の福徳によるもので、六万の商人たちに囲まれ、地響きのような従者を従えていたことから、その福徳の広大さが示される。
仏を仰ぎ見た賢護菩薩は、静寂で安らかな御姿に一切の威徳を蔵し、金色の大樹の如き荘厳さに深い敬虔の念を起こす。合掌して「仏は一切智により一切を見通す真実の覚者なり」と念じ、十種の徳号を備えた世尊を讃歎しつつ仏足を礼拝し、謹んで瞻仰したのである。
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