問:正思惟の定がなければ、それは邪定なのでしょうか。時々、ぼんやりとして念が動かず、思惟もできず、念仏もできない状況に陥ることがありますが、このような状態は避けるべきでしょうか。
答:定は重要であり、自心を清澄にし、煩悩と性の障りを降伏させ、心を法の上に定めて思量を起こさせ、それによって大いなる智慧を生じさせます。
定には多くの種類があり、様々な次元における転換もあります。現段階では定を得ることが既に尊いことであり、心が安定した後に機を捉えて、仏法を思惟できる定へと転換すればよいのです。ことさら枯定を厭離したり避けたりする必要はなく、枯定をよく用いて身心を転換し、その後で定の方式を変化させれば足ります。
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