衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年05月13日    月曜日     第3開示 合計1525開示

好記性は爛筆頭に如かず、とはどのような道理か?

記すということは、理解せずに暗記することであり、意識の機能による働きである。記憶した内容はまだ意根に染み込んでおらず、意根はまだ理解していない。どのようにして意根に染み込ませ、以後いつでもはっきりと思い出せるようにするのか。それには、書き続けることである。書くことは実際の操作であり、書くときは非常にゆっくりで、書きながら意根に染み込ませていく。そうすれば意根は理解しやすくなる。

書くのが遅いということは、定があり、集中できるということである。意根が消化吸収できれば、以後これらの内容に出会ったときにはっきりと理解でき、わざわざ暗記する必要はない。理解せずに暗記した内容は忘れやすく、頼りにならず、後の世でも思い出すことはできない。意根がはっきりと理解していれば、後の世でも役に立つ。

丸暗記することは、学んだ内容に対して意根が理解しておらず、意識だけで強く記憶しているにすぎない。意識がどんなに流暢に暗記しても、意根はやはり理解していない。しかし学んだ内容に対して意根と意識が本当に理解していれば、暗記する必要はまったくなく、使うときに自然と引き出せ、自然と活用できる。理解力が良くない人は暗記を好み、智慧のある人は理解すればそれで終わりである。

意識の努力と意根の努力の違いは非常に大きい。意根の智慧は真の智慧であり、意識の智慧は偽りの智慧である。

——生如法師の開示
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父子合集経選講(一四)

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意根の機能を最大化するには?

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