或る人がこう言いました。「因縁に応じて物事を取り上げ、放下することこそが自在で洒脱な境地である」と。しかし、これは真の放下ではなく、また自在洒脱でもありません。これは自己麻痺に過ぎません。真に放下するためには、真に我見を断じ、初禅定を修めて煩悩を断ち、貪愛を断除してこそ初めて放下でき、洒脱でいられるのです。この境地に至らずしては真の放下とは言えず、ただ愚かな未解脱の状態です。
多くの人々は束縛されたくないと願い、自在を求めますが、何が束縛で何が自在かを知りません。そこで戒律を束縛と見なし、禅定を拘束と感じ、戒律の制約を不自由と感じて遂には戒律を捨て、無拘束を選びます。しかし気付いていないのは、仏陀が戒律を制定された本来の目的が衆生を解脱させるためであり、故に戒律を「別解脱戒」と呼ぶ所以です。衆生は戒を守り、犯さぬことによって因果の悪報を受けず、戒律を守ることで我見を断じやすく、煩悩を調伏し断除しやすくなります。煩悩を断じてこそ解脱を得られ、真に自在となり、心が規範を越えず、人に対しても事に対しても執着のない、これが真の解脱です。束縛を受けたくないという心そのものが、既に解脱せず自在ならざる心なのです。
6
+1