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日常開示

2019年04月23日    火曜日     第1 回の開示 合計1455回の開示

七識心所法の運行

六根が六塵に触れ、六識が生じる。六根と六塵を合わせて十二処という。六根とは勝義根を指し、後頭部に位置する。五つの勝義根に意根を加えて六根となり、これを内六処と呼ぶ。六塵とは内五塵に法処所摂色を加えた内六塵であり、外六処とも称される。内六処と外六処を合わせて十二処という。根と塵は必ず共にあるもので、内六塵は後頭部の勝義根に生じ、六根と接触する。根と塵が共にあることで接触が成立し、触れた後に意根が作意し、第八識が六識を生じさせる。

根塵相触とは、根と塵が必ず共にあることを意味する。その場所は、五つの勝義根が後頭部にあるため、五塵は後頭部の勝義根に現れ生じる。内五塵は必ず後頭部の勝義根で生じるため、根と塵の接触はそこで成立する。根塵が接触した後、第八識は五識を生じる。同時に五塵に基づく法塵も後頭部の勝義根にあり、意根と接触する。第八識は同時に意識を生じ、五識と共に六塵を分別する。これを五俱意識という。

六根が六塵に触れて六識が生じた後、この三者が和合して触れる時、六識は六根を依り所として再び六塵に触れ、六塵を了別する。根と塵は常に接触しており、接触が途絶えれば六識は滅する。その後六識が再び六塵に触れ、触れた後に領納性が生じ、六塵を受容する。受心所が現れる。六塵を受容した後、六識は六塵を了別し執取し、想心所が生じる。

六塵を了別した後、六識は思量を始める。思量が不分明な場合は再び作意し、六塵に対して新たに作意を生じさせる。作意の後、再び了別し感受する。この時の感受には苦楽憂喜捨の受覚が現れる。最初の受は領納・受容であり、受容した後は六塵を取り込み、それがどのような六塵かを知る。この受容は取り込みを意味する。その後は情緒的な色彩を帯びた受が生じ、苦楽憂喜捨の感受が現れる。

感受が不明瞭な場合、再び相を取って了別し、想心所が生じる。想心所が生じた後了別し、再び思量を始める。思量が不明瞭なら再び接触し、触れた後再び了別するか、あるいは再び想を起こし、あるいは更に感受を続ける。このように了別・感受を経て再び思量し、最終的に事柄を明瞭に思量し了別すれば、六識は決定心を生じ、意根も了知して決定心を生じ、造作を開始する。これが思心所である。

六識が了別した内容は意根に伝達される。意根は同時に六識が了別した六塵の境界に対し、五遍行心所法の運行を生じ、一連の心理活動を現出させる。最終的に意根が決定心を生じ、如何に造作すべきかを決定する時、第八識はその思量決定を了別し、意根の作意する法に合わせて運行する。第八識は意根がどの法塵に作意しているかを知る必要があり、それを知った上で当該法塵に六識を現起させる。六識が現起すれば、身口意行の造作が開始される。

意根が未だ思量不明瞭な場合、意根は再び接触し、作意し、感受し、了別を続け、最終的に再び思量して決定を下す。決定が下される前、五遍行心所は常に往復運行を続ける。その順序は作意・触・受・想・思の順とは限らず、逆転する場合もある。触が先で了別が後、あるいは触と受が先で了別が後に続くこともある。了別後に再び受が生じ、受と了別が不明瞭なら再び思量する。思量が不明瞭なら再び接触し、感受し、了別を続ける。

このように心所の前後関係は必ずしも一定せず、順序が乱れる場合がある。最初は作意であり、作意は必ず種子位にある。種子位において対応する法塵に作意が生じると、識種子が生じて当該法塵の位置に現れ、意根が法塵に接触して作意する。種子が法塵上に生じて識心を形成し、その法塵と接触する。これは先に作意があり、後に種子が生じ、種子が現れて識心が形成されて初めて法塵に触れることができる。

接触後は領納し、領納後に相を取って了別し、了別後に思量する。思量不明瞭なら再び接触し、接触後に領受・感受が生じるか、あるいはこの時に再び作意し、了別性を生じる。再び接触し了別性を生じる場合、後の心所の順序は乱れ、最初の順序は作意・触・受・想・思という五遍行心所法の運行順となる。

——生如法師の開示
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