原文:須菩提。例えば人の身体が大きい。須菩提言。世尊。如来が説く人身の大相は、実大身ではなく、ただ名大身である。
释:世尊は説く、須菩提、例えば人の身体の大きいとは、一切法中の一法である。須菩提は答える、世尊、如来が説く人身の大相は、実大身ではなく、名大身のみである。なぜ如来が説く大相は実大身ではないか?人の身体の大小相貌は如来蔵の虚幻假相であり、実质なく、実质の大小相もない。如来蔵が四大種子で堆积された幻相であり、其の大小长短は相対的に説く、必ず某物を参照し、比对して名大身长短を定める。而その比对物も実ではなく、可比性や依赖性無し。故人身の大相は実大身ではなく、名大身であり、実质の大小説無し。
原文:須菩提。菩薩も如是である。若し「我当滅度无量衆生」と言えば、菩薩とは名されない。なぜ故か。須菩提。実理地には菩薩と呼ばれる法無く、故仏は説く一切法に我、人、衆生、寿者無し。
释:須菩提、菩薩も如是であり、心地に法相を著しない菩薩行を行えば真菩薩である。菩薩が「我当滅度无量衆生」を発愿すれば、其菩薩は真菩薩ではなく、実相未証得、実相中未入。なぜ故か?須菩提、実理地には菩薩や我と呼ばれる法無し。故仏は説く一切法に我、人、衆生、寿者四相無し。
真菩薩は実相を証得した菩薩であり、実相を証得した菩薩は世俗相を執取しない。世俗相とは四相である。菩薩は我相を持しない、菩薩相も持しない、被度衆生相も持しない。其相は五陰相であり、如来蔵の虚幻假相である。実法無し、如天上の白云が幻化する猫狗形象のように、実猫狗無し。真菩薩は菩薩相、我相、衆生相を執取しない、但し无心で无量衆生を度し菩薩行を行わなければならない。
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