衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年04月11日    木曜日     第6 回の開示 合計1414回の開示

金剛経唯識深義(八十)

それでは衆生の五蘊に依って現れた生命相、寿者相もまた非相であり、真実の存在ではない。衆生がある期間における生命活動、例えば呼吸、新陳代謝、飲食排泄などは、表面的には真実の存在のように見え、真実の意義があるように思われるが、実際には如来蔵が現した仮の相であり、如来蔵によって与えられたもので、その本質も如来蔵である。この一期の生命がどれほど長く続こうとも、その生命の実質は即ち如来蔵である。衆生に真実の生命相はなく、故に寿者相は即ち非相である。

なぜ我・人・衆生・寿者の四相が非相であり、真実の相ではないと言うのか。法界の実相は一切の相を離れているため、四相があるのは虚妄の相、仮の相、生滅の相であり、法界の実相ではなく、真実の相でもないからである。実相である金剛般若の壊れざる心、即ち諸仏の法身は、一切の相を離れ、四相もなく一切の相もない。故に真の仏は無相であり、真の仏はまた説法しない。一切の相を離れた仏こそが諸仏の法身仏であり、真の意味における仏である。五蘊の相を有する仏は報身仏・応身仏・化身仏であり、法身仏が幻化した仏であって、真の仏ではない。

世尊は須菩提に告げられた:その通りである。まことにその通りである。もしこの金剛般若波羅蜜経を聞くことができ、聞いた後に心に驚きも恐怖も畏れも生じない者がいるならば、この者が実に得難く稀なる者であり、善根福徳の極めて厚い者であることを知るべきである。

なぜ世尊はこのように説かれたのか。金剛般若波羅蜜経にはすべて大乗の空理が説かれ、衆生に四相を離れ、全ての相を離れ、一切の相を執着しないよう教えているからである。しかし衆生は無始劫以来ずっと四相に執着し、一切の相を掴み取り、捨て離れようとしない。衆生の心には我執が深く、我見が重く、全ての相を有と見て、一切の相を空と見ない。

衆生は無始劫以来ずっと深く有に依存してきたため、金剛経で説かれる空や無を聞けば、必ず恐怖と驚愕を覚える。自らが空に落ちることを恐れ、自らが空無となることを畏れ、無始劫以来頼り続けてきた杖を捨てようとせず、無依無靠となることを拒む。それゆえ空蕩々となることを恐れ、自らの存在が消えることを怖れる。これが善根福徳の不足した者、前世での修行時劫が短い者が示す反応である。逆に、この経で説かれる四相の無、四相を離れることを聞いて心に恐怖を生じない者は、既に長劫にわたって修行を積み、培った善根が既に深厚な者である。このような者が金剛経を聞いて驚くだけでなく清浄な信心を生じ、更に四相を離れた金剛般若心を証得できるのは、まことに稀有で得難い存在である。

——生如法師の開示
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