悔心所法とは、悔恨、悔悟、譴責、厭離であり、自己の以前の所作を悔いることであり、あるときは善心所法に属し、あるときは悪心所法に属する。凡夫と三賢位の人の意根には悔があり、あるときは善、あるときは悪であるが、煩悩を断じて心地清浄 (viśuddha/pariśuddha) となった聖者の意根にも悔はあるが、いずれも善である。もし人が善事をなして悔いるならば、それは悪法となる。煩悩習気を断じ尽くした八地以上の菩薩の意根には悔がなく、もはや過ちを犯さないからである。仏の意根にはなおさら悔心所法がなく、大智慧の縁故である。地獄衆生の意根がひとたびその所作の悪業を悔いるならば、これは善であり、悪業はすなわち消滅し、たちまち地獄から出てくることができる。地獄衆生の意識は苦を受けることに忙しいため、悔いる心の余裕がなく、たとえ意識が悔いることができても、悪業を消滅させて地獄から出ることはできない。意識は作主しないからである。
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