衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2019年04月08日    月曜日     第4 回の開示 合計1403回の開示

第七識意根にははたして善心所法があるのでしょうか

第七識に信心がなければ、意識の信心も仮の信心に過ぎず、基本的に何の役割も果たしません。第七識が精進しなければ、六識の精進は全て偽りの精進であり、長く続かずに懈怠してしまいます。六識は第七識の指揮に従うものだからです。

第七識に慚愧がなければ、意識の慚愧は全て偽りの慚愧であり、第七識は依然として悪に染まっています。

第七識に無貪・無瞋・無癡がなければ、貪・瞋・癡の煩悩を断除する必要はなく、直接に第三果や第四果に至るはずです。意識に貪・瞋・癡の煩悩があっても、長く続くことはありません。意識は第七識の支配を受けるからです。後に第七識に貪・瞋・癡の煩悩があると言うなら、これは自相矛盾しています。

第七識に邪見・辺見・見取見・戒禁取見がなければ、これらの邪見を断除する必要はなく、意識のこれらの邪見は長く続かず消滅します。意識は後世の生死流転を主導する主体とはなり得ません。

最も重要なのは、第七識に定がなければ、六識は根本的に定まることはできず、仮に本当に定まったとしてもすぐに散乱してしまいます。六識は必ず第七識に従って転じ、第七識が方々に攀縁すれば、六識は方々に了別せざるを得ず、自主性を失います。そうでなければ第七識は主導識とは言えないのです。

——生如法師の開示
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