外法塵は例えるならば外界の高山のようなものであり、その形状の高低や雄大さなどは全て外法塵です。如来蔵がこれに触れた後、勝義根に伝導され、内法塵となります。それによって六識が認識することが可能となるのです。
もし外法塵が存在しなければ、外界の山は色彩のみで他に何もないことになります。それではこの山とあの山をどう区別し、山河大地を見分けることができるでしょうか。宇宙の器世間がただ色彩の斑で満たされているはずはないでしょう。
甲という人と乙という人がいる場合、甲は乙にとって外塵であり、色声香味触法の六塵を含みます。甲の背丈や体格、性別、気質、年齢、容貌などは全て外法塵です。乙の如来蔵がこれに触れ、勝義根に伝導されて内法塵となります。甲が単なる色彩の色塵であり、背丈や体格などの外法塵を持たないとは言えません。もし人が皆ただ色彩の一片のみで法塵を持たないなら、各人にどのような差異があるでしょうか。各人の如来蔵が他人の如来蔵を使って内法塵を創造するのでしょうか。それとも各人の如来蔵が勝手に他人の法塵相貌を改変するのでしょうか。
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