衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年04月04日    木曜日     第3 回の開示 合計1390回の開示

八識に相応する心所法

心所法とは、識心が持つ法のことです。識心が運行過程において心行する軌跡であり、八つの識の運行を補助します。世親菩薩は八つの識の心所法をまとめ、最多五十一あると归纳しましたが、まだ归纳されていないより细微な心所法もあります。例えば恐怖、恐れ、喜び、幸福等の情緒面の心所法です。これらは善や悪に属さず、本質上修證に影響しません。各識はそれぞれの心所法を持ち、尽相同ではなく、各衆生の不同修行段階にも不同心所法があります。心によって定まり、心によって変化します。因此、各識の心所法究竟有多少と言難しく、各衆生の心所法究竟哪些と言難しい。具体情况に応じて分析対応し、一概而论できません。

総じて、八つの識の心所法は五遍行:触、作意、受、想、思;五别境:欲、勝解、念、定、慧;十一善:信、惭、愧、無貪、無嗔、無痴、精進、轻安、不放逸、行舍、不害;六根本烦恼:貪、嗔、痴、慢、疑、恶见;十小随烦恼:忿、恨、恼、覆、诳、谄、憍、害、嫉、悭;二中随烦恼:無惭、无愧;八大随烦恼:不信、懈怠、放逸、惛沈、掉举、失念、不正知、散乱;不定心所:悔、眠、寻、伺。

其中、善十一心所法と随烦恼中の六烦恼は对立します。識心が善心所法を持つ場合、大随烦恼心所法は持たず、大随烦恼心所法を持つ場合、善十一心所法は持たません。一識心は善悪心所法を同時に持不可能、善か悪かどちらか,同時不可。例えば識心が信心所法を持つ場合、不信心所法は持不可能;惭愧心所法を持つ場合、無惭无愧心所法は持不可能;無貪心所法を持つ場合、貪心所法は持不可能;無嗔心所法を持つ場合、嗔心所法は持不可能;無痴心所法を持つ場合、痴心所法は持不可能;精進心所法を持つ場合、懈怠心所法は持不可能;轻安心所法を持つ場合、昏沈心所法は持不可能;不放逸心所法を持つ場合、放逸心所法は持不可能;行舍心所法を持つ場合、忿恨恼心所法は持不可能;不害心所法を持つ場合、害心所法は持不可能。

——生如法師の開示
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