衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年04月02日    火曜日     第2開示 合計1384開示

金剛経唯識深義(五十三)

なぜ一切の賢聖人は真実法を証得し、無為法を証得していながら、なお差別があるのでしょうか。賢聖人とは、初果から四果までの声聞羅漢、因縁法を証得して各々の品位に至った縁覚人、明心から第七住位から妙覚までの菩薩を含みます。声聞の初果・二果は賢人であり、三果・四果および縁覚は聖人であり、菩薩は初地以前は賢人で、初地以降はすべて聖人です。彼らが証得したのはいずれも無為法ですが、しかしこれらの無為法の内容と階層は大きく異なっています。初果の人は五陰空・無我を証得し、三縛結を断じて、これより三悪道に入らず、三悪道の行に対して所為なく、これが初步の五陰無為です。

二果の人は人我空を証めたために、心行が減少し、煩悩が淡薄となり、心がいくらか清浄となり、いくらか無為となりました。三果の人はさらに進んで五陰の虚妄を証得し、色界の禅定境界が現前し、初禅を証して貪欲を滅し、瞋恚を断じ、煩悩を断じて心が清浄となり、悪業を造作しなくなり、七識が真に無為し始めます。四果はさらに無為となり、我慢を滅し、色界・無色界に対する貪愛を断除し、煩悩を断じ尽くして慧解脱を得て、三界に対して無為となり、解脱の智慧をもって三界を出離することができます。また定解脱の阿羅漢は四禅定に入ることができ、息脈ともに断じて不動無為を証し、無想定に入って識陰の滅を証し、心が無為となります。倶解脱阿羅漢は随時随処に滅尽定に入ることができ、意根の受と想という二つの心所法を滅して想受滅無為を証し、いつでも涅槃を取証して三界を出ることができます。声聞人は五陰無我を証めたために、心行がますます無為となり、ますます清浄となり、彼らの間の無為には大きな差別があるのです。

辟支仏人には独覚と縁覚が含まれます。独覚人は生生世世に修した善根のゆえに、仏もなく法も世に住していないとき、世間の一つの生滅の現象を見て深い思索を起こし、一人で寂静の処にあって修道し、これらの生滅現象の根源を探求し、十二因縁法と十因縁法を推究して、衆生の生死輪回の根は無明であり、その源頭は第八識心であることを見出し、辟支仏果を証得します。一方、縁覚人は仏に随って修行し、仏の説法を聞いて十二因縁と十因縁法を悟り、果を証得した者です。彼らの無為法の智慧は声聞羅漢より高深であり、また辟支仏果の果位・智慧・神通にも浅深さまざまな階層の差別があり、すなわち彼らの心行の無為の程度に差別があるのです。

——生如法師の開示
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