衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年02月28日    水曜日     第2 回の開示 合計119回の開示

禅定における六識の現量了別

禅定における六識にも現量了別があり、未到地定においては六識が全て存在するため、現在存在あるいは顕現している六塵の境界を現量了別することが可能である。身体の軽やかさ・高大さ・快適さ・伸びやかさなどの状態は、身識と意識が共同で現量了別するものであり、内心の透徹した虚脱感・清浄な感覚は意識心単独の現量了別によるもので、独頭境界に属する。意識は智慧不足あるいは禅定に関する知見が不足している場合、禅定の境界を完全に現量了別できず、比量や非量による了別が存在し得る。

初禅定においては、意識が眼識・耳識・身識の三識と共同で色・声・触・法の四塵を現量了別し、意識単独で内心の軽安・喜悦・静寂・空幻などの感覚を現量了別することが可能であり、定境法塵を単独で現量了別できる。意識は定境法塵を比量や非量で了別することも可能である。二禅の定境においては意識のみが単独で存在し、前五識は存在しない。従って二禅の定境では意識が単独で深細な定境法塵を現量了別する。この時意識の現量了別は極めて深細であり、自らの了別を感じることも、内心に知覚が存在することも、深い喜悦や快適さを感じることもほとんどない。あまりに深遠であるが故である。この境界においては意識の比量や非量による了別は存在せず、雑多な幻化的定境が現れないため、意識は無覚無観の状態にあり、すでに思惟分析の活動を喪失している。

——生如法師の開示
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