衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
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仏道無上誓願成

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日常法話

2018年02月28日    水曜日     第1開示 合計118開示

六識の現量了別(五)

色身が触れる対象を感じる際、身識は第一刹那に現量によって対象の粗い相を了別し、意識は第二刹那に現量によって対象の微細な相を了別する。その後、二者が同時に再び現量による了別を行う。しかし、接触する対象が極めて特殊な場合、身識と意識がそれぞれ一、二、三刹那を了別すると、直ちに対象から離れなければならず、再び接触することはできない。例えば、身体が火に触れた時、身識は直ちに熱さを感じるが概念はなく、意識は直ちに火の熱さの程度を了別する。分析や比較、思惟を行う間もなく、意根が即座に決断を下し、速やかに火源から離れる。これは意根が身根と身識・意識の了別に縁って行う現量による了別であり、直接「離れる」という決定を行う。ここでの身識、意識、意根の三識は全て完全な現量による了別であり、比量や非量の了別は存在しない。なぜなら、意識が比量や非量の了別を行う間もなく、意根が即座に離れることを決定し、身識と意識は直ちに火という触れる対象の上で消失するからである。

また例えば、指が偶然針の先端に触れた場合、身識と意識は共に第一刹那で痛みを了別する。意識が思考分析して決定を行う余裕がなく、意根が直接に主導権を握って手を離すことを決定する。すると手は突然ぴくっと動く。ここでの三識は全て現量による了別であり、意識の比量や非量の了別は存在しない。なぜなら、もはやその余裕がないからである。指が針先から離れた後、意識が改めて先程の突発的な状況を了別し続けることで、ようやく事の真相、すなわち不注意で指が針先に触れたことを知る。この時初めて意識による比量と非量の了別が生じる。比量の了別は正しい了別である可能性もあり、それによって正しい結論が導かれる。一方、非量の了別は不正確な了別であり、事実とは完全に一致しない。

——生如法師の開示
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『観行による我見断つの突破口を探る』

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禅定における六識の現量了別

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