人心は富貴を期す 五欲の情未だ満たず
諸大の国王輩 この患いを免るるを得ず
仙人は呪箭を持てり また死生を免れず
無常の大象踏む 蟻塚地とともに同じ
しばらく一切の人を置く 諸仏の正真覚
生死の流れを越度す また復た常に在らず
この故に当に知るべし 汝の愛楽する所
悉く応に早く捨離すべし 一心に涅槃を求めよ
釈:人心は皆、大富大貴を得ることを望み、五欲への貪りは永遠に満足を知らない。全ての国王たちは、この生死の過患を免れる者は一人もいない。山中の長寿の仙人たちは、呪文を加持した宝剣を持って修行しても、生生死死の輪廻を免れることはできない。無常という巨大な象が一歩踏み出せば、衆生は蟻のように地面に貼り付く。普通の人々はさておき、諸仏は無上正等覚を成就し、生死の流れを超越しているが、それでもやはりこの世に常住することはない。故に、あなたがたが愛し楽しむすべての人・物・事は、早々に捨て離れ、一心に涅槃の楽しみを求めるべきである。
後に身を捨て死する時 誰が当に我を証知せん
また法宝に遇うことを得るや 及び遇わざる者
久しくして仏日出ず 大いなる無明の闇を破る
もって諸の光明を放ち 人に道と非道を示す
我は何れの所より来れるか 何れの処よりか生ぜり
何れの処にて解脱を得ん この疑い誰か当に明らかにせん
仏聖の一切智 久しくして乃ち出世す
一心に放逸すること莫かれ 能く汝が疑結を破らん
彼は実利を楽しまず 弊悪の心を好み著す
汝は衆生の長と為り 当に実法相を求むべし
誰か死する時を知らん 趣く所何れの道よりか
譬えば風中の灯の如し 滅する時節を知らず
釈:最後に命を捨てて死ぬ時、誰が私が仏法の宝に出会ったのか、それとも出会わなかったのかを知るだろうか?久遠の時劫を経てようやく一尊の仏が世に出て、世の大きな無明の闇を破り、衆生のために智慧の大光明を放ち、何が正しい道で何がそうでないかを示す。すると衆生は心に疑問を抱く:私はどこから来たのか、どこから生まれたのか、どこで解脱を得られるのか、これらの疑問を誰が解いてくれるのか?仏は世の大聖人であり、一切智人であって、久遠の時劫を経てようやく世に現れる。あなたがたは一心に真理を観察し、思惟に散乱なく努めれば、疑問の結び目を解くことができる。
あなたがたは過去世において真の利益を好まず、心が狭く邪悪であった。今、衆生の中の長老となったあなたがたは、真実の相(実相)の法を追求すべきである。誰が自分が死ぬ時、どの道に生まれ変わるかを知ることができようか?まるで風の中の灯火のように、いつ消えるか分からない。
至道の法は難からず 大聖は事を指して説く
智及び智処を説く この二つは外を仮らず
汝もし放逸せず 一心に常に道を行ぜば
久しからずして涅槃を得ん 第一の常楽の処
利智は善人に親しみ 心を尽くして仏法を敬え
穢れ不浄の身を厭い 苦を離れて解脱を得よ
閑静に寂志を修め 林間に結跏して坐せ
心を撿めて放逸せず 意を悟り諸縁を覚る
もし有(三界)の中を厭わずんば 安く睡りて自ら悟らず
世の非常を念わずんば 畏るべくして懼れず
煩悩は深く底無し 生死の海は辺無し
苦を度する船未だ弁ぜず 安んぞ楽しんで眠ることを得ん
ここを以て当に覚悟すべし 睡りをもって心を覆うこと莫かれ
釈:菩提の大道に通じる仏法はそう難しくない。仏陀という大聖者が既にその道筋を整え、大衆に「智慧の獲得と智慧が働く場所は、心の外に求めるものではない」と説いておられる。もしあなたがたが修行に一心に精進して怠らず、常に心を専一にして仏道を修めるならば、間もなく大涅槃を証得し、第一の永久なる常楽の境地に至ることができる。
利根で智慧ある者は善知識(優れた指導者)に親しみ、心を尽くして仏法を敬い、汚れた不浄の肉体を厭い離れてこそ、苦難を離れ解脱を得られる。ゆったりと静かに修行し、淡泊な心で志を明らかにし、常に林の中に結跏趺坐(あぐらをかいて坐禅すること)し、自心を収めて怠らず、私が説く意味を体得し、一切の境縁が幻であることを覚るべきである。心が三界の存在(有)を厭い離れなければ、安心して大いに眠り、自ら覚ることはできない。もし世の無常を思わなければ、恐ろしい世の中を恐れることもない。煩悩が深く底がないならば、生死の大海もまた際限がない。自らが生死の苦海を渡る法の船をまだ造り終えていないのに、どうして安らかに眠りを貪ることができようか?故に覚るべきであり、これ以上睡眠で修行の心を覆ってはならない。
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