覚えには真覚と妄覚があり、煩悩を覚える心は必ず妄覚の第七識であり、真覚はこれらを覚えません。妄心の覚えがあるからこそ衆生は煩悩の存在を知り、真心の覚えがあるからこそ衆生は煩悩を生起させ、現起させ、煩悩を顕現させ、自らの煩悩性を反観できるのです。この二つの覚えは異なる作用を果たし、妄覚は知覚でき、妄覚自体が元来煩悩を具え、自ら自らの煩悩を感知します。真覚は煩悩の源であるものの、煩悩を感知することはありません。
したがって煩悩即ち菩提であり、煩悩と菩提の関係は「一ならず異ならず」です。一ならずとは、菩提は煩悩と等しからず、煩悩には生滅あり菩提には生滅なく、煩悩は菩提に依って生じ菩提自らは生ぜず、外縁に頼らず存在し、煩悩が滅んでも菩提は滅びません。異ならずとは、煩悩は菩提に源を発し、菩提の一部であり菩提の作用の顕現でもあります。故に煩悩あるところ必ず菩提を見出せます。悟りとは飲食排泄・行住坐臥・言談笑語といった煩悩事の中に、これらの煩悩なき菩提心体を識得することに他なりません。
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