問:普段念仏をする際、念仏の名号を知っている他に、念仏を念じていることを知っているその「知」は何でしょうか。
仏が説く「声」とは何か、「聞」とは何かを体得する際、能聞の「聞」を明瞭に体得できますが、その「聞」を知っている「知」が存在します。この「知」とは何でしょうか。
答:念仏の名号及び念仏の音声を知るのは意識心の知であり、また耳識の知でもあります。念仏は意識心による念仏であり、自分が念仏していることを知る知は依然として意識の知であり、意識の反照作用であり、意識の証自証分の機能作用です。
声を能聞する「聞」は意識の聞性を主とし、耳識の聞性を補助とします。聞声を知る能知は意識の知であり、意識の反照作用であり、意識の証自証分の機能作用です。
ただし声を聞く際には四つの識心が存在し、意識と耳識のみならず、第七識と第八識も関与します。一切の聞性は第八識を根本としますが、表面的には意識と耳識の聞として現れます。第八識の聞性は極めて微細で認識し難く、意根である第七識の聞性も同様に微細で認識し難いものです。一般の人はこの二種の聞性を観察できず、比較的容易に意識の聞性を観察できます。
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