衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2021年04月06日    火曜日     第2 回の開示 合計3273回の開示

意識と意根の関係

問:意識の念は意根の念が注視する内容なのでしょうか。もしそうなら、意識の念頭を遡って意根が現縁している法を推測できます。意識の現前の念を制御すれば、間接的に意根の縁る対象を制御でき、こうして徐々に意根が慣れれば定が生じるのですか。

答:意識と意根が縁る法は同一であるべきです。意識が弁別するものは必ず意根が攀縁する法であり、そうでなければ意識が生じる必要はありません。意識が生じるのは意根に奉仕するためで、意根に従うべきですが、意識が法を弁別した後、思惟分析を通じて自らの見解を持つと、意根に逆らい、意根の意向に合わなくなる可能性があります。もし意識に正しい知見があれば、徐々に意根を転換できますが、意根がどこまで受け入れるかによります。意識が過激であれば意根を怒らせ、意根を正道に乗せることを阻むでしょう。だから意識が聡明であれば巧みに意根を導き、愚鈍であれば効果がなく逆効果になったり、意根に引き回されたりします。仏教徒の意識は意根に対しこうあるべきです:あなたが混乱に導こうとも私は従わない、貪瞋痴に誘おうとも従わない。徐々に意根は手段を失い、先導を止め、逆に意識に導かれるようになるのです。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

四念処をどのように観行するか

次の記事 次の記事

父子合集経講記(一九一)

ページのトップへ戻る