呼吸は我々の身体的健康と密接な関係があり、禅定とも深く関わり、寿命とも密接な関係を有しています。体調が芳しくない人の呼吸は必ず荒く短く、呼吸の通り道が短くかつ滞りがちで、喉元までしか気が届かず吐き出されるか、さもなければ息苦しくなります。中には胸元までしか気が届かず吐き出される人もおり、呼吸が短いため体調不良を来します。
禅定の修練が優れた者は、気が下腹部の丹田にまで到達し、呼吸の通り道が長く、一呼吸に長時間を要し、途中に障害が無いため、身体は必ず健康です。一旦気が丹田に到達すれば、心は静寂を得、妄念が減少し、妄念を起こすのも疲労を伴い、余計な発言を好まず、従って消耗するエネルギーも少なくなります。この時煩悩は制御され、心は清浄さを増し、思考は専一となり、思惟は深微かつ透徹するため、智慧が容易に顕現します。
禅定の修練が深まり第四禅に至ると、呼吸は停止し、エネルギー消費が極めて少なくなり、身体は更に健康となり寿命は延長します。この境地で神通を修すれば、修するが即ち得られ、力を費やすこと無し。我々が身体健康と心の清浄、煩悩降伏を求めるなら、日常的に自身の呼吸を訓練し、気を丹田に至らしめることが可能です。念仏の方法を用いて自己を訓練すれば、気の調整が整うと禅定が現前し、神気爽快で精力充実します。
念仏時に呼吸を調整するには、初めに口で肺腑の濁った気を吐き出し、濁気が完全に排出された後、口を閉じて鼻から吸気し、気流を緩やかに腹部丹田まで到達させ、更に下方へ排出させます。この通り道が長ければ長いほど、排出される病気は増加し、身体状態は向上します。丹田へ吸気した後、短時間留めるか、あるいは息を継ぎ、再び口から吐き出します。呼気時に「阿弥陀」または「陀仏」と念じ、口誦心念共に可、気が丹田に至れば念じられなくなり、内なる仏号さえ停止する時は、憶仏に転換可。呼気時に念仏し、気を吐き尽くしたら、暫く留め、再び口を閉じて鼻から吸気。この訓練を十分間或いは数分行えば、心は静止状態を得ます。この時は完全に憶仏の方法で念仏を継続するか、或いは一つの仏法道理を思惟可。この時の定力は更に深遠な修行方向へ進ませ、一心の境地に至ることも難事ではありません。
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