眼識の知る五識の知には名相がなく、意識の知には名相がある。例えば眼識が太陽光を認識してまぶしさを知る場合、太陽光という名相がなく、名言もなく、まぶしいという名相もなければ、まぶしいという名言もない。意識が眼識と共に太陽光を了別する時に初めて、それが太陽光であると知り、太陽光がまぶしいと知るのである。しかし目を閉じて太陽光を避けるのは意根の選択であり、眼識と意識はただ無意識に迅速に実行するに過ぎない。なぜ意根は迅速に選択を行うことができるのか。眼識と意識が刹那的に太陽光を了別するたびに、その情報は意根に伝達され、意根は刹那ごとにこれを了知し、かつ正確に了知するため、正しく合理的な選択を行い、利を求め害を避けることができるのである。もし眼識と意識が了別するものが意根に馴染みのない色法であれば、意根はそれほど迅速な選択を行わない。なぜなら意根が伝達されてきた色法を理に適って理解できるとは限らず、思量審査を重ね、理解が明らかになって初めて選択を行うからである。意根が思量しても理解できない場合もある。その場合は伝達された色法をありのままに理解できず、やむを得ず選択を行うと、誤った選択をすることになる。故に意根の選択の迅速さや正しさ、合理性は、意根の経験と智慧にかかっているのである。
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