前六識がもし六塵を了別しようとするならば、それは能動的ではなく、受動的に第七識である意根の指揮によって作主をなす。六識は六塵に対して探求性を有するが、それを得られるか否かは因縁による。第八識はただ第七識に随順し、因縁に従い、業種に基づいて六塵を顕現させ、六識に分別取捨を行わせる。まず第八識が六識に識種を伝達して初めて、六識は現行し得る。第七識が何をなそうとも、第八識は全てに随順し、選択なく、条件なく、報いを求めず、ただ業種に応じる。いかなる識も第八識を制御することはできず、第八識は一種の随順性を具え、それ自体の運行法則を有する。しかし悟後は様々な方法によって第八識の随順性を観察し、その従順さを検証できる。観察を重ねれば、いかなる行為も全てが随順協調し、毫も逆らわぬことを体得するであろう。
これは想陰の境界であり、極めて虚妄なるものである。具体的な解釈は『如来蔵細説』に詳述されております。雑談の章節にあったかと存じます。
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