衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年10月28日    日曜日     第1 回の開示 合計963回の開示

業の種が枯れる法理について(一)

業種枯れる道理は非常に深く、また非常に深い。非常に深い道種智を持ってのみ、この中の深い意義を知ることができる。すべての衆生が仏になる前に、全ての悪業障は受ける完了、報する完了、了尽する必要があり、一点点的も残らず、仏になることができる。一点点的の悪業が存在している場合、消滅していないなら、仏になることができない。衆生が無始劫以来造作した悪業は、仏になる臨時において、全て受報する必要があるか、消滅できるか、これは不可能である。無始劫以来造作した悪業は実に太多太多であり、塵のように多い。全て受報する必要があるなら、消滅できるなら、三大阿僧祇劫は確かに受けない完了であり、この長い時劫も報けない完了、報不尽である。しかし、各尊仏は僅三大阿僧祇劫を修しただけで、悪業種子は全て消尽した。では、これらの業種はどのように消尽したか。

ある業種は長期間現行される縁がないため、徐々に自ら枯れ、消失する。特に小さい悪業種子は容易枯れ消失する。太大的悪業種子は枯れ不了であり、菩薩地時に受報完了する必要がある。または重業が軽業に転換する、重罪軽報により滅去する。全ての悪業は消尽する必要があり、仏になることができる。多くの大菩薩が人間に来る時、依然悪業果報を受ける必要があり、避不了である。另一方面,菩薩は修行過程で不断善業を修集するため、生生世世の善業が悪業を遥かに超える。小さい悪業種子生まれる縁は常に不具足である。無限長時間経過後、意根は常に善業種子と相応し、悪業種子と不相応する。心地も徐々に清浄になり、久遠劫前の種子は枯れ、消失する。

ある小さい悪業種子は長期間現行する機会がない場合、業種は確かに枯れる。意根の悪習気劣習気は長期間表現する機会がない後、良い善の習性形成すると、原の悪習も消失する。消滅できる業種は、過去生の身口意造作した行為が種子として如来蔵に存した。将来縁に遇うと現行悪果報する。果報は因縁成熟時に実現する必要がある。私たちが為すべきことは、忏悔して業を消す、大善業を作る、往世の悪業を超える。善業種子は常に現前し、悪業は機缘現前がない。私たちは常に善報を受ける、悪報を受ない或は少受する。未来承受能力有る時再悪報を受ける。その時受報はあまり痛苦な事ではない、完全承受できる。

——生如法師の開示
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業種枯渇の道理について(二)

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