衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2019年08月10日    土曜日     第3 回の開示 合計1802回の開示

中陰身の一切の活動は意根の業力によるものである

中有の身にも六識は存在しますが、この時点では六識の作用力が比較的弱く、人間の身体にある時のような強さはありません。中有の身は業の現れであり、業力が最も強く作用する時期です。意根が業力と共振し、主導性が最も顕著に現れるため、意識では意根を制御できません。さらに、中有の色身は人間の身体とは大きく異なり、中有の身に依存する意識の思考・分析・判断機能は弱く、意根に対する牽制作用も微弱です。意根に意識の牽制作用が及ばないため、業の習性が完全に表出します。もし意根の煩悩習性が転換されず、戒・定・慧の修養もなく、善法と共振せず、三結を断じていないならば、必ず煩悩の束縛に縛られて三悪道に生を受けることになります。中有の身のすべての活動は意根の業力が主導し、意根が善ならば善道に、悪ならば悪道に生を受け、あるいは意根の願力に随って生を受けるのです。

臨終が近づくにつれ、五根の機能は次第に弱まり、如来蔵は五根を維持しなくなります。四大の微粒子が分解し、六塵も伝達されなくなるため、意識を生じる縁が整わず、意識はもはや生起しません。六塵の伝達が徐々に減少するにつれ、六識はますます微弱になり、最終的に滅び去ります。すると意根と如来蔵は離脱し、中有の身の中に入っていくのです。

——生如法師の開示
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