衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年08月04日    日曜日     第6開示 合計1769開示

想蘊が真実でないことをいかに観行するか

想(思惟)そのものも生滅しています。ずっと想い続けさせようとしても、そもそもそれができません。想う内容を切り替えさせず、一つのことをずっと想い続けることもできません。意識がどのように想おうとも、意根がそのことを重要でないと感じ、もっと重要なことがあると思えば、意識は別のことをしなければならず、想う心の余裕がなくなります。夜に想い悩んで眠れなくなるのは、すべて意根が事を手放せず、意識にあれこれと思い巡らせているからです。意根がいったん心を空けて事を手放せば、意識はたちまち滅して、眠りに落ちます。

生滅変異する想は、来たるところより来ることなく、去るるところへ去ることなく、来る時には踪なく、去る時には影もありません。どこに想が我であるのを見出せるでしょうか。思いが万千に乱れるとき、思想の念頭を追跡しても、ついに踪跡を見出せず、まさに思想している時、その念頭もまた空です。何が念頭でしょうか。何が思想でしょうか。念じた人や事はどこにありますか。想った事柄や道理はどちらのほうにありますか。思惟する識心とは何でしょうか。掴むことができず、まったく何も得るものがなく、空空としています。生滅無常の法は、はっきりと言い表すことができず、執着しようにも執着できず、振り返って探しても、何の踪跡もありません。

昨夜は枯枝に風雨が襲い、今朝は霧露が斜陽に照らされる;前世には念念たる故人の情があり、今生では相忘れて陌路となる。

——生如法師の開示
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