衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年08月04日    日曜日     第1開示 合計1764開示

佛法は実証すべきものであり、推測や想像によってはならない

仏法は実証を重んじ、実証をも要求します。実証がなければ、口耳相传と推理による意解だけでは、とっくに大道から十万八千里も離れてしまっています。もし心中に一つの空を確立して、それを真実とし、実在の法としたならば、その空は真実のものとなり、法縛となって、解脱を得られなくなります。一切の法はすべて空であるならば、その空という法は、空なのでしょうか?もし一切の法はすべて空であるというこの法が空でないならば、どうして一切の法はすべて空であると言えるのでしょうか?

多くの人は真に我見を断しておらず、五陰が空でいないままに、法空を推測し想像して、一切の法を第八識と見なしています。六地・七地の菩薩に至って、初めて真に一切の法を第八識と見なすことができるのです。しかし六地・七地の菩薩は、八地・九地の菩薩を含めても、すべての一切の法を第八識と見なすことはできません。まだ証得していない法が数多くあり、証得していない法は、根本的に如実に第八識と見なすことができないからです。たとえ最も粗浅な五陰の身であっても、それが第八識から生まれたものであると証得しておらず、この点を真に観行していなければ、真に如実に五陰の身を第八識と見なすことはできません。さもなければ、とっくに我執を断して初地に入っているはずです。

多くの人は、何の法も実証したことがないために、そこで一つの修行方法を仮想し、一つの修行ルートを仮定しますが、そのルート図は曖昧で不明瞭に描かれており、自分でもよく分からないのです。現在の仏法の流伝はまさにこのようであって、一歩一歩の実際の修行に全く触れず、実行可能な方法と手段が一つもないのです。

——生如法師の開示
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