衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年07月29日    月曜日     第5開示 合計1736開示

現今の時代に意根を多く講じなければならない理由

意根について、声聞人は簡単に理解しておけばよい。意根は六根の一つであり、意識を出生させる依り所であるということ、そして意根もまた生滅変異するものであるということを知っていればよく、あまり深く知る必要はない。大乗菩薩も明心の前には、同様に意根をあまり深く知る必要はなく、明心したばかりの初級段階においても、陽炎観を過ぎる前までは、意根をあまり深く知る必要はない。

ただし末法の時代、とりわけ現段階においては、衆生の修学はいずれも急功近利の心を抱いており、心性は浮ついていて、禅定 (samādhi) もなく、禅定を修めることもできないため、往々にして意識による理解を悟と見なしたり、意識による解悟を悟と見なしたりしている。未来世の果報は恐るべきものであるから、今の時代においては意根を多く説かなければならない。解を悟とすることによる難堪な現象がますます増えるのを避け、口は空でも心は空でないという現象がますます深刻になるのを避け、仏教における虚浮な現象がますます深刻になるのを避けるためである。仏法がひとたび変質してしまえば、後世の人々には依り所がなくなってしまう。意根を説き、皆に解悟と証悟の区別を分からせることは、燃眉の急を解決するものであり、仏教の乱れた相がますます重くなるのを避け、仏教が早く滅亡するのを避けるための、やむを得ない措置なのである。

多くの人は、戒をしっかり持つことを望まず拘束されるのを恐れ、また苦労して禅定を修めることも望まず、安逸を貪り労働を嫌い、自分の心性を変え、無明の煩悩を破除することを望まず、ただ一刻も早く最後の果を得て聖者となり、限りなく栄華を極めたいとだけ思い、天から餅がいつ降ってきたことがあるのかを知らない。このような良いことがあるなら、釈迦仏と十方の諸仏は衆生に知らせずに、なぜ戒定慧や菩薩の六度などと説いて、衆生をこんなに苦労して修行させるのか、その意は分からない、と。

——生如法師の開示
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各種の三昧はすべて意根によって証得される

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