観行と参究の初期段階において、意識は多く思惟して法義を学び、法義の大綱義理を了解します。その後、参禅の因缘条件が具足した時、禅定を修得した基礎上で、意識は了解した法義内容を凝聚し、非常に容易に理解できる意味を形成し、深く心に懸置し、朝夕不懈、寝食を忘れて用功します。これが参究です。
意識が分析思惟を少なくし、多く意根自身に思量考量させることが、实证を確保する最有效な方法です。意識が分析思惟多く行う一旦答案を知ると、再び参したくなくなり、意根も参究の机会なく、永遠に証悟できません。故に明心の答案を随便に打听し、随便に講すれば、意識が知った後、意根は用功できず、証悟不可能となります。断我见の内容も、師父に講す過細要求できず、意識が全て知れば、意根再思考できなく、断我见困難となります。
意識を用いて思惟すると疲労感あり、意根多く用心すれば疲労感なし。禅定非常良好時、意根は観行参与でき、禅定なければ、意根插手できず、専心思量考究できません。参禅時の疑情は、意根一心に弄明白し答案を探求することです。法義を意根審させ、一旦審清楚通過すれば証得となります。意識を重とする人は意根を木头と摆设と言い、用なし。もし観行参究に意根真に用しないなら、私は今全世界に实证答案を公布し、全世界の人々、学佛与否に関わらず、全て答案を知り开悟成佛させ、それが可能でしょうか?根本不可能です、各人食事は各人飽き、思想见解互相代替之事聞なし。
意根恒に審思量する審字は、意根の心理活動を揭露し、意根の所起作用も揭露します。これ说明意根は废物と摆设ではなく、祂非常に重要な决定性作用あり、活活波波の識心です。意根接触任何法も審一审し、六識了別した法も意根審一审し、審過れば決定し、処理します。故に意根は参禅中何作用起す?断我见時何作用起す?明心見性時何作用起す?証得一切法時何作用起す?全て決定作用起す。
一切法は意根把关が必要、意根审查合格なければ処理できません。意根审查時、自身の識心活動あり、自身考量必要、六識完全听从せず、六識了別何物も即认可せず。故に六識的一切所见は、意根清清楚楚に明了させ必要、意根不明了れば审查不合格、过关できず、意根決定できません。断我见及び明心見性は意根审查审核経過必要、意根不同意すれば断我见できず、明心見性できません。意識单方面的断我见と明心は、意識自身理解認為したもので、主人领导不同意すれば算数せず。意識领导同意経過せず擅自做主断我见と明心言す、此理なし。
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