衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2018年10月24日    水曜日     第2 回の開示 合計942回の開示

意識と意根の悔い

業力が現前する時、それは意根が造作し、一切を制御しているのであり、意識に一点の弁解の機会も与えずに事が発生します。しかし事が過ぎ去った後、後悔するのはいったい誰でしょうか。

事が過ぎた後、まず後悔するのは意識です。意識は自らの身口意の行為を観察分析し、正しいか正しくないかを知る能力があるため、後悔するのです。意識が後悔する内容を、意根も同時に了別することができます。もし意根が意識の後悔を認めるなら、自らが先ほどの身口意行を後悔し、そうすれば意根は今後身口意行を改めることができます。もし意根が意識の後悔を認めないなら、意根は後悔せず、従来通り自らの身口意行為を変えることなく、意識の後悔は本来あるべき役割を果たせず、やはり意根の習気に随順するほかありません。

——生如法師の開示
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