原文:かくのごとく我聞けり。一時、仏は舎衛国祇樹給孤独園に住したまえり。その時、世尊は諸比丘に告げたまわく、「もし比丘が行い、形、相において欲悪不善の法を離れ、覚有り観有り、離生の喜楽を得て初禅を具足して住するならば、彼はかかる行い、かかる形、かかる相を憶念せず。しかるに彼の色受想行識の法に対し、病のごとく、癰のごとく、刺のごとく、殺されることのごとく、無常・苦・空・非我と観じ思惟す。その法に厭離し、怖畏し、防護の心を生ず。厭離・怖畏・防護の心を生じたる後、甘露の門をもって自らを饒益す。かくのごときは寂静なり、かくのごときは勝妙なり、すなわち捨離なり。余愛尽き無欲となり、滅尽して涅槃に入る」。
釈:もし比丘が行住坐臥の一切の心行、一切の形相において、貪欲と悪不善の法を離れ、内に覚知有り、観察有り、欲界の法を離れて喜楽心を生じ、初禅の境界に完全に住するならば、彼らはもはや自らの行住坐臥という一切の行相を念ずることなく、自らの色受想行識の五蘊を存在すべからざる病想と見なし、傷痕のごとく、毒刺のごとく、賊に殺されるごとく、無常・苦・空・無我と観じ、五蘊に対し厭離心・怖畏心・防護心を生ず。
厭離・怖畏・防護の後、仏法の寂静かつ勝妙なる甘露をもって自らを利益し、貪欲を捨離し、三界の法に対する最後の貪愛も断じ尽くし、もはやいかなる欲望もなく、一切の心行を滅尽して涅槃を得る。
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