仏は賢護に告げたまわく、譬えば烏麻あり。旃檀華を薫じてその油香ばしく、これを旃檀油と名づく。凡麻油と好悪殊なるがごとし。油もと香なし。花を以て種を薫ずれば、油ついに香を成す。香は麻を破らずして入り、また麻を破らずして出ず。また形質を留めずして油内に止まる。ただ因縁力の故をもって、香油内に遷り、油香沢と成る。鶏鵞の子識、卵に入出するもまたしかのごとし。旃檀の香、油内に遷るがごとし。
釈して曰く、仏の言わく、賢護よ、譬えば烏麻を旃檀華で薫じ、その後油を搾れば、その油は香ばしく、これを旃檀香油と名づく。普通の麻油とは良し悪しの差甚だ大なり。旃檀華で薫ずれば凡油は香り高く貴重となる。花を用いねばただの麻油なり。烏麻より油を搾り出し、旃檀華は香気あり。旃檀華をもって烏麻を薫ずれば、搾り出した油に香気生ず。本来烏麻と呼ぶものを、この油一薫で旃檀油と化す。油もと香味なきが、花を薫ずればこの油香味を得る。かの香りいかにして油内に入るや。
仏の説きたまわく、花香は烏麻を破らずして内に入り、また烏麻を破らずして出づ。香りは出入せず、また烏麻を損なわず。香味は形色を油内に留めざるも、搾り出した油には香気あり。これは阿頼耶識が卵殻を破らずに入り、また出でずして鶏卵や鵞卵を執持するがごとし。香味で烏麻を薫ずる理と同じ。
すべて因縁和合の力によりてこのような殊妙の変化あり。香り油内に遷り、油は香沢を得る。この因縁性によりて両者和合し、互いに薫じ合う。故に烏麻油は香味ある油となる。香り油内に遷れば油は香油と化す。阿頼耶識が鶏卵や鵞卵に入出するもまた因縁あるがごとし。因縁具足すれば阿頼耶識は鶏卵鵞卵に入り、因縁滅すれば出で去る。
衆生出生の因縁具足すれば、阿頼耶識は衆生の五陰身を顕現す。因縁あるとき世間法の鶏卵鵞卵は殻を破り、雛は孵化す。因縁滅すれば世間法の卵は壊れ、生命力失せ、阿頼耶識はもはや自ら卵を執持せず。されば卵も阿頼耶識なくして独立存在せず。無生命の卵は共業衆生の阿頼耶識が共同で執持す。卵に生命あるときは、この卵の個別の阿頼耶識が単独で執持する故に生命あり。阿頼耶識が卵より出でた後も、卵は共業衆生の阿頼耶識が共同執持するまま。これすなわち唯識所変、唯心所現なり。
0
+1