衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年06月27日    木曜日     第4 回の開示 合計1643回の開示

なぜ意根は容易に発見されないのでしょうか?

意根には言語文字がなく、心の働きは隠微で深遠であり、意識のような明らかな推論・推測・思惟・分析・想像・幻想などの作用はありません。しかし、意根が主宰する決断力は依然として顕著です。定力が不足すれば智慧も不足し、心が粗雑になれば、意根の作用がどれほど顕著であっても観察できません。

例えば嘘をつくことを好む人には、往々にして二つの意図があります。一つは表面で働く比較的明らかなもの、もう一つは背後に隠れて密かに働くものです。人の真実の意図は背後にあるものであり、表面のものではありません。表面のものは単にカモフラージュの役割を果たし、陽動して注意を逸らし、背後にある隠れた意図は容易に露わにせず、人に知られまいとします。背後にあるものを見つければ、すなわち意根を見出したことになります。意根はその人の本質的な品性を表し、人格を代表する鍵となる働きをします。

多くの人は人前で二つの心の声を持っています。一つは人に見せ、評価してもらうためのもの、もう一つは人に知られたくない故意に隠された本質です。独りでいる時、躊躇する時にも、二つの意見、二つの考え、二つの打算、二つの心の働きがあり、これが統一されないため内戦状態となります。決断がつかなければ長期にわたる内戦となり、心の崩壊、精神分裂、身体の不調を招きかねません。身心は相互に影響し合い牽制し合うものだからです。

唯識は即ち心理学です。唯識を学べば微細な兆候から本質を見抜くことができ、人の心理を観察するのは難しくありません。ただし人を知っても安易に口に出すべきではなく、トラブルを避け円滑な人間関係を保つべきです。直心の人は思ったことを率直に話し、九十九折の曲がりくねった言い方はしません。心が曲がった人は考えを隠して直接言わず、人を迷路に引き込み、混乱させて自ら仕掛けた罠に導き、目的を達成しようとします。

——生如法師の開示
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