衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年06月27日    木曜日     第3 回の開示 合計1642回の開示

意根には始まりの点があるのでしょうか?

質問:完全解脱した阿羅漢は、意根を滅する能力を持ち、五陰十八界を消失させることができます。では、完全解脱した阿羅漢が意根を滅した後、如来蔵から再び意根を生じ出す可能性がありますか?もし可能なら、意根は始点を持つようになるではありませんか?

回答:無余涅槃以後、再出生時、意根は当然始点を持ちます。無余涅槃以前には始点がありません、無始劫以前心の中に一念無明があったため、意根を滅することができません。

無余涅槃に入時、意根が滅した場合、誰が意根を滅しましたか、滅意根者がありますか?もし有るなら、まだ一個我、一個作主者があります。涅槃臨時、もし意根が「我は自己を滅する」と思えば、この心念があり、執著を断掉できません、無余涅槃に入できません。もし如来蔵が意根を滅するなら、如来蔵は作主性を持ち、七識のような我性を持つ、無我性の如来蔵ではありません。意根万念俱灰、心所法皆現れません、如来蔵无可奈何、再び种子を输送できません、意根自我才能消失します。

——生如法師の開示
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なぜ意根は容易に発見されないのでしょうか?

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