衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年04月27日    土曜日     第4開示 合計1469開示

薫習の力

先ほど一曲聴き終えたばかりなのに、頭の中ではまだそのメロディーが反響しており、これは意根が念じ、意識が歌曲を回想しているのである。もし仏法を学ぶことがこれほど早く、これほど容易であれば、なんと素晴らしいことか!世俗法の熏習は速いが、仏法の熏習はあまりにも遅い。なぜなら、世俗法はあまりにも長く熏習されてきたからだ。世俗法がどれほど長く染みついてきたか、計算できないほどである。仏法が染みついた時間はどれほどか、世俗法と比べるとあまりにも短い。観日は何ほど難しいか、何ほど細かいか?明らかにそうではないのに、どうしても観想が成就しないと言うのは、以前に観想したことがなく、心が興味を持たないからこそ、このようになるのである。世俗法は何ほど興味深く、何ほど馴染み深いか、それを出現させたくなくても抑えきれない。修行とは生の処を熟に転じ、熟の処を生に転ずることである。生の処は仏法、熟の処は世俗法である。肝心なのは転換できることであり、転換しようとする決心を持つことである。

——生如法師の開示
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意根の作意の心所法はいかにして引き起こされるのか

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