衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年04月10日    水曜日     第1 回の開示 合計1405回の開示

第七識の心所法

第七識の心所法は非常に複雑である。一切衆生の無始劫以来の善恶果報は、第七識の意根の善恶心所法によって成就される。凡夫が三善道または三悪道の果報に在る場合も、四種の圣人である阿羅漢、辟支仏、菩薩、仏の殊勝果報も、全て意根の善恶心所法によって成就される。地狱から仏までの果報の差別が如此之大であるのは、意根の心所法の差別によるものである。意識の善恶心所法も果報への影響が非常に大きいが、意識の善恶は意根を熏習成功した場合のみ、最終の果報に真実の影響と作用を生じる。もし意根に熏染されていないなら、この人の本质は変化していないため、果報も変化できない。

既然意根の心所法が衆生の後世の善恶果報を決定するなら、衆生は確実に異なる善恶果報を持つため、意根には善と悪の心所法があり、且つ各衆生の意根の善恶心所法の軽重程度も異なる。三悪道の衆生は意根に煩惱心所法を具足し、仏は善心所法を具足する。他の衆生の善恶心所法は具足されていない。既然異なる衆生の意根の心所法の差別が如此之大であるなら、各類の衆生に分別し、其の意根の各種心所法を表述する必要があり、一概而论できない。

衆生は無始劫以来、第七識がずっと無明煩惱を持っている。学仏修行後、戒律の约束、禅定と智慧の增長により、無明煩惱は不断に降伏と断除され、煩惱心所法は不断に軽減と減少し、善十一心所法は不断に増加と增强し、五別境心所法の功能も不断に増加と增强される。因此、第七識の心所法は修行の段階と程度により、分別表述する必要がある。

——生如法師の開示
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