舌識は味を味わい、甘酸っぱ辛苦を分別し、意識心は食物の種類や味の良し悪しの程度を分別して、好き嫌いの心が生じれば、苦楽不苦不楽の感受があり、それによって身口意行が生じます。身識は触塵を覚知し、寒熱飢渇飽満軟硬などを分別し、意識心は同時に疲労軽安快適疲困などを分別して、好き嫌いなどの心行が生じれば、苦楽不苦不楽の感受と他の身口意行があります。意識心は前五識と同時に分別し、単独でも了別でき、過去を回想し未来を打算し、分析推理判断して、苦楽憂喜捨の感受を生じ、次の身口意行を引き起こします。
意根もまた心であり、形状も相貌も一切ないため無色根とも称され、無始劫より存在しています。阿羅漢が無余涅槃に入る時に滅し、我執識であり、無始劫より自我に執着し、一切を私および私のものと見なし、前六識の機能を私のものと執着し、第八識の機能を私のものと執着し、貪瞋痴慢疑邪見が絶えず現行して、業を造る根本となります。常に六識を主導して自らの習慣に従って行動させ、修行は主にこれを改めることにあります。意根は開悟して初地に入った後に一度変化し、八地菩薩の時に一度変化し、成仏時に完全に平等性智へと変化します。意識心は妙観察智となり、前五識は成所作智へと変わり、第八識は大円鏡智へと変わります。もし意根の我執性を断除し、自己への執着を止めることができれば、命終には自己の五蘊十八界を滅して無余涅槃に入ります。
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