衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年03月21日    木曜日     第2開示 合計1353開示

金剛経唯識深義(二十)

舌識は味を嘗め、酸っぱい・甘い・苦い・辛いを分別し、意識心は食物の種類や良し悪し、味の程度を分別して、好き嫌いの心を生じさせれば、苦・楽・不苦不楽の感受が生じ、身口意行が生じることになります。身識は触塵を覚し、冷たさ・熱さ・空腹・渇き・満腹・柔らかさ・硬さなどを分別し、意識心は同時に疲労・軽安・快適・疲れ・だるさなどを分別して、好き嫌いなどの心行を生じさせれば、苦・楽・不苦不楽の感受と、その他の身口意行が生じます。意識心は前五識と同時に分別することもでき、単独で了別することもでき、過去を回想し未来を計らい、分析・推理・判断を行って、苦・楽・憂・喜・捨の感受を生じさせ、次の段階の身口意行を生じさせます。

意根もまた心であり、形狀もなくいかなる相貌も持たないので、無色根とも称されます。無始劫の昔から存在しており、阿羅漢が無余涅槃に入る時に滅します。これは我執識であり、無始劫の昔から自己を執著し、すべてを我と我のものとして捉え、前六識の功能を我のものと執著し、第八識の功能を我のものと執著し、貪・瞋・癡・慢・疑・邪見 (mithyā-dṛṣṭi) が絶えず現行する、造業の根本であり、常に六識を主導して自分の習慣に従って行動させています。修行は主としてこの神様を変えることです。意根は開悟して初地に入ってから一度変化し、八地菩薩の時にもう一度変化し、成仏の時に徹底的に変化して平等性智となり、意識心は妙観察智となり、前五識は成所作智となり、第八識は大円鏡智 (ādarśa-jñāna) となります。もし意根の我執性を断除し、もはや自分を執著しなくなれば、命終の際に自らの五陰 (pañca-skandha) 十八界を滅して、無余涅槃 (Anupadhiśeṣa-nirvāṇa) に入ることになります。

——生如法師の開示
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