仏が菩薩摩訶薩たちはこのように自らの心を降伏すべきだと説かれましたが、降伏されるべき心は必ず妄心です。真心は元より想念を起こすことがなく、知見も考えもなく、三界六塵に攀縁せず、身口意の行いを作らず、清浄で煩悩がありません。したがってこれを降伏する必要はありません。一方、妄心の眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・意根は常に六塵の万法に攀縁し、心を動かし想念を起こし、無量の知見・意見・見解を持ち、人我見・人我執、法我見・法我執が極めて熾盛で、身口意の行いは貪瞋痴と相応します。それゆえ降伏が必要であり、無明を断ち切って智慧の徳用を生じさせなければなりません。
七識の妄心を降伏しようとするならば、七識の機能作用を理解しなければなりません。眼識は色を見て青・黄・赤・白・長短・方円・大小を分別し、意識心は同時に細相(微細な相)を分別します。良し悪し・美醜・趣き・気質などにおいて、好き嫌いなどの苦楽・不苦不楽の感受が生じると、身口意の行いが現れます。耳識は音声を聞き、高低・遠近・方向を分別し、意識は同時に種類・意味などを分別して貪愛・嫌悪などの心行を生じ、苦楽・不苦不楽の感受が生じると、やがて身口意の行いが現れます。鼻識は香りを嗅ぎ、香り・臭い及び方位を分別し、意識は同時に香臭の種類・程度などを分別して好き嫌いの心行を生じ、苦楽・不苦不楽の感受が生じると、身口意の行いが現れます。
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