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日常法話

2026年08月22日    土曜日     第1開示 合計4817開示

意根の独特な思量(manasikāra/manana)方式(一)

離念霊知心とは、意識が無念のときに六塵を了別する状態を指すほかに、言語や表面的な思惟分析の働きを持たないのに、六塵の境界および六塵以外の法を知ることができ、より霊巧で、より隠密で、より深沈で、より思量性に富み、思量の力がより大きく、問題を解決する能力がより強い心がある。それが意根である。

意根は意識のように六塵の境界に対して分析思惟することはできないが、意根には独自の思量の仕方があり、しかも思量性が非常に強い。衆生は主に意根の思量性によって決定を下し主宰している。意識の智慧が不足していると、意根の独特で隠秘的な思量性を観察し了知することができず、神様が思量する仕方やその脈動は人に知られることなく、また自らの意識にも知られることがない。それゆえ、多くの人が神様を誤解し、頭をかかえて悩んでいるのである。

意根が単独で思量することも多い。たとえば、夜にある問題が解決しないまま眠りにつき、翌朝目を開けたとたん、意識がその事情を知り、問題が解決していたということがある。意識がどうしても考えがまとまらず解決できなかった多くの問題を、そのままにして別のことをしに出かけたところ、いつの間にか突然ひらめき、膝を打って「そうだ、そういうことだったのか!」と悟り、解決の方法が分かる。これこそ意根の思量性が働いた結果であり、神様は密かに音もなく思量していて、意識は必ずしも知らないのである。

意識は一時的に解決できない問題を放棄して思惟分析をやめても、意根は放棄せず、絶えず心の中で記掛け、気に掛け、思量し、琢磨している。意根の心所法は絶えず働き続けている。神様には意識のような明確な思惟分析の働きはなく、意識の思惟分析機能とはいくらかの違いがあるが、果たしてどのような違いがあるのかは、無生忍を証得した菩薩でも必ずしもどれほど了知できるわけではない。この内容はあまりにも深いからである。

意根の思量が明確か否かというのは、意識の智慧との相対的な問題である。意根はただそのように働いていて、何かをわざわざ隠しているわけではなく、ただ意識に観察し発見する智慧があるかどうかによるのである。第八識の心行と働きもまた非常に明確であり、五識や意識の働きと同じように明確である。神様は自らを意図的に隠しているわけではなく、ただ意識に強い観察の智慧があるかどうかによるのである。意識の慧力が強くなければ、意識自身の心行すら観察できないのに、まして意根や第八識の心行など観察できるはずがない。

実は、意根が思量すべき法は非常に多く、その範囲は非常に広く、意識が知っているのはごく一部にすぎない。意識に智慧がないときは、意根の思量性をまったく理解できないが、意識が理解しようがしまいが、意根には神様自身の思量の機能作用があり、神様自身の思量の仕方がある。たとえば、意根が前世の遺骨の問題を解決する場合、意識はどうしてもそのような事を知ることができないが、意根は自ら単独でどう解決するかを思量することができる。また、意根が他人の夢の中に出て行って、人に法を説いたり、人に何かを求めたりするのは、いずれも意根が単独で働いたものであり、その中にはいずれも意根の思量性があり、意識は知らないのである。

意根が六塵の上で思量した法は、意識に知らせることも知らせないこともできるが、これは知らせるか否かの問題ではなく、ただ意識に智慧があるかどうかによるのである。多くの場合、たとえ智慧のある人でも、意根が何を思量しているのかを知ることはできない。意根の思量の結果は、意識が知ることができるときもあれば、知らないときもあるが、実はほとんどの場合、意識は知らない。智慧が不足しているためである。

意根が思量して結果を導き出し、「この事は重要だ」と結論を出すと、重要な問題は六識に執行させて解決させなければならないので、このときには六識に知らせる方法を考えなければならない。もしこの事が重要でなければ、意根が自ら単独で解決できるのであれば、神様はわざわざ意識を警覚して知らせる方法を考えたりはしない。意識が比較的鈍くて覚知性があまりない場合には、意根が思量して導き出した法や結論を、意識はまったく知らない。たとえ意識が知らなくても、意根はやはり六識に指図して実行させるのである。

一念不生のとき、意識は念を生じなくなるが、意根はそうではなく、意根の念は一般に絶えることがない。一念不生のとき、意識が突然ある事を思い付いて、すぐに身を起こして出かけ用事を済ませるというのは、意識が念を生じていないときに、意根の念が転じた結果なのである。

——生如法師の開示
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意根の思量の恒常性

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意根は重大且つ変動する法塵のみを了別するわけではない——意根に対する誤解を解き明かす(三)

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