衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2026年08月13日    木曜日     第1開示 合計4809開示

意根恒審思量の内涵

意根は恒審思量の体性を具えています。恒とは恒常性、永久性を指し、審度思量性は永遠に意根に伴い、意根が存在する限り、意根は一切法を審度思量しなければなりません。衆生の意根は無始劫以来、一度も断滅したことがなく、小乗の四果阿羅漢と縁覚辟支仏の果位に修めるまで滅する能力はありません。それ以外の衆生の意根は、未来世において仏地に至るまで、また仏地以後も滅することはなく、それゆえ意根は永遠に存在し続け、第八識に世間の万法を絶えず現起させます。意根のこの断滅しない体性を恒と呼び、その思量性もまた一刹那一刹那ずつ意根の現行運作に伴い続け、決して止まることがありません。これが意根の恒性です。

審とは審慮、審査、審度、評価することです。審はまた疑の性を表し、ある状況を探り明らかにしたい、ある事理をはっきりさせたいという心です。確かに知ることができず、心に疑いがあるため、審度思量して、ある法が果たしてどのようなものか、本当に正しくありのままなのか、ある特定の状況なのかを判断する必要があります。このような心行を審と呼びます。世俗法における年審(年次審査)、審査、審度、審訊、審問は、まさにこの審の意味です。意根には審の体性があり、もし審がなければ、祂は抉択と決定を行うことができません。祂は常に審査、審慮、審度を経て、心中で明らかになった後にこそ、最終的に抉択を行うことができるのです。

思量 (manasikāra/manana) とは、意根が一切法に対して一定の権衡、取捨、抉択、考量、参研、量度、籌度、了別を行うことを指します。ある法の内容・内包が何であるのか、果たしてどのようなものか、自分にとって利益があるかどうか、どのようにすれば正しいのか、どのようにすれば願いを満たし目的を達成できるのかを権衡し、その後に初めて取捨抉択を行うことができるので、意根には思量性があります。意根は思量した後にこそ、自分の思量の結果に基づいて決定を下し、取るか捨てるかを判断し、それから六識を主導して相応の身口意行を取らせ、目的を達することができるのです。第八識もまた、意根の思量抉択を中心として、これに随順し配合して万法を出生せざるを得ないのです。

——生如法師の開示
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六識のない時、五陰身の中のすべての心行は意根の心行である

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意根は細かに了別することができる――意根に対する誤解を解き明かす(一)

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