衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2026年08月12日    水曜日     第1開示 合計4808開示

六識のない時、五陰身の中のすべての心行は意根の心行である

夜中に眠っていると、体に冷たい触覚が現れ、それから身識と意識が生起して、冷えの問題を解決します。夜中に眠っていると、体に痛い触覚が現れ、そこで身識と意識が生起して痛い触覚を感じて処理します。意根が冷・痛・熱を知っているなら、なぜ意識が生起する必要があるのでしょうか?なぜなら、意根は問題が生じたと知っても、自ら処理して解決することができず、五陰身の問題は六識が処理に当たる必要があるからです。六識が無い場合、五陰身に現れる心行は全て意根の心行であり、六識が非常に微弱な場合、それらの心行もほぼ全て意根のものです。植物人間の状態を観察すると、植物人間は苦しいと感じているのか?植物人間でありたいと思っているのか?このままベッドに横たわり続けたいと思っているのか?食事の時に食べたいと思っているのか?最も親しい人を見た時にどんな反応を示すのか?これらは全て意根の心行と覚受を示しています。

昏睡している時、意根は昏睡したいと思っているのか、どのような様子があるのか、これらの様子から意根の心行を観察することができます。もし昏睡時に意根が捨受であれば、意根は如来蔵のように無関心で、そのまま昏睡を続ければ良いはずです。しかし、身体が少しでも回復すると、意根は六識を出現させようとし、五蘊の機能を出現させようとします。これは意根が昏睡を望まず、昏睡に甘んじていないことを示しています。なぜ昏睡を望まず、昏睡に甘んじず、昏睡を好まないのでしょうか?昏睡中は、一つには心地よくないからです。二つには、五蘊の活動がなく、何もしないでいると退屈に感じるからです。退屈も苦しみであり、昏睡中に快適だと感じるなら、意根は当然昏睡状態を維持するでしょう。三つには、意根は死を恐れるからです。坐禅で入定した時に出定したがらないのは、意根が快適だと感じていることを示すのでしょうか?もちろん、意識も清明で入定がとても快適だと感じれば、静坐に執着して、座を立つのを嫌がるでしょう。

——生如法師の開示
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