衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2019年03月13日    水曜日     第1開示 合計1339開示

ブラックボックスの世界(五十三)

耳は声を聞き、鼻は香りを嗅ぎ、舌は味を味わい、身体は触覚を感じるのも、これと同じ道理です。故に金剛経には「凡ゆる相あるものは、皆な虚妄なり」と説かれています。我々が認識し、分別し、了知する一切の相は仮の相であり、如来蔵が我々に現じ出した影に過ぎません。如来蔵は鏡のように、外の六境に接触する際、外の六境と全く同じ影を映し出すことができ、この影が内なる六境となります。我々が一切の相が影であり、仮の相であることを真に証知した後、心の執着性が初めて軽減され、煩悩は薄れ、一切の得失利益に過度に拘らなくなり、心は清浄さを取り戻します。そうして六根が再び六境に触れても、識心は染汚煩悩を生じず、次第に心は清浄を得るのです。故に清浄とは心の清浄であって、根の清浄ではありません。根には分別性がなく、識には分別性があります。識が分別する際には、清浄と不清浄の心行を伴うのです。

——生如法師の開示
前へ前へ

ブラックボックス世界(五十一)

次へ 次へ

金剛経唯識深義 第五

ページトップへ戻る