衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2026年06月11日    木曜日     第1開示 合計4740開示

「如春」見道後の身心状態(一)

2026.1.25、家事をしながら色身の不浄を観行していたところ、色身とは巨大な汚物処理システムであり、飲食や男女の営みによって生じる様々な排泄物を回収・処理しているものだと分かった。世人が奪い合っているのは、突き詰めれば排泄物を奪い合っているに過ぎない。世人が富や資源を占有するのは、色身を愛おしみ、五蘊に奉仕するためであり、五蘊の色身の内部は排泄物で満ちているのだから、それは不浄を愛で、不浄を奪い合っているのと同じではないか?このことを思った時、思わず長くため息をつき、衆生は本当に苦しいのだと感慨した。また如来蔵の慈悲と智慧を思った。意根の貪りを満たすために色身を造り出し、意根に享受させ、また様々な不浄の後始末を担い、文句も言わずに働き続けている。我々が仏に帰依するのは、このような徳を学ぶためである。夜、夢の中で観行を続け、その後、口腔とその周辺が空っぽになったのを感じた。

弟子は師匠が戻ってからというもの、禅定をずっと良好に保てており、身心は比較的軽やかで安らかであり、煩悩もほとんどない。観行の進歩はかなり顕著で、しばしば全身が神遊びに浸ったような状態になり、頭は観行している法に引っ張られ、目は色を見ても具体的な色塵を弁別せず、耳は音を聞いても具体的な声塵を弁別しない。よく別の空間から無理やり引き戻されるような感覚がある。時々、人の話を聞いていると、相手の煩悩の気配が押し寄せてきて、心臓が震えて慌てたり、抑圧されたりして、返事をしたくなくなる。返事をしても、しばしば的外れで、あるいは「うん」「ああ」で済ませてしまう。

最近は大きな変化はない。昼間だけでなく、よく夢の中でも観行しており、夢の中で息を吐いていることがある。時々、身体(時には局部)が空っぽになる現象を感じるが、それ以外は特に何もない。感情は比較的安定しており、特別な喜びや浮き沈みもない。自分は全体的に淡々として、軽やかで、穏やかで、人や物事に対して大きな反応や波紋がない。昨日、菩薩が言ったあの言葉を思い出し、菩薩の慈愛を感じ、心が温かくなり、鼻の奥がツンとして、少し嬉しくもあり、少し切なくもあった。まるで長年外を流浪し苦しんでいた子供が、ようやく家に帰る道を見つけたかのようだった。

今夜、座禅を組んでいると、全身がしびれ、麻痺し、張る感じがした。まるで全身に電流が流れているようで、少しチクチクとした痛みもあった。全身が強い電流に包まれているようで、もう一人の自分が身体の外に立っているのを感じ、金色の電流が自分の身体の中を流れていくのをはっきりと見た。そして鼓膜のあたりに大きな圧力を感じ、どういうわけか、一瞬で周囲の全てが遮断されたかのようだった。

——生如法師の開示
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