衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2026年06月10日    水曜日     第1開示 合計4739開示

「如春」が見道した後の吉祥な夢境

2026.1.15の夜、自分が座禅を組んでいる夢を見た。空から多くの石柱が落ちてきて、思わず手で防ごうとしたが、すべて発泡スチロールでできており、当たっても軽くてふわふわしていた。夢の中の私は比丘だった。

コメント:色法が空であり、仮であり、不実であることを実証して初めて、このような夢を見るのだ。夢は人の内心の思想を示すものであり、普通の人の夢と見道者の夢はまったく異なる。

2026.1.18、自分が金色に輝く場所に着いた夢を見た。そこには多くの仏像があり、その中の一尊は金色の身で、青藍色の髪型をしており、深く印象に残った。その夢を二度見た。

2026.1.23、夢の中で自分が行苦・空・無常を観じているのを感じた。すると左の鼻腔が通ったようになり、長く息を吐いていた。圧力鍋の蓋を開ける前の最後の蒸気抜きのように。非常にリアルで、夢とは思えなかった。

コメント:眠っている間に修行を続け、身体の気脈の運行がよりスムーズになる。同時に業障の消滅も続く。見道の前後で、程度の差はあれ業を消す現象が現れる。目覚めていても夢の中でも同様である。

2026.1.22、修行に関するいくつかの思考:1、勝義諦から言えば煩悩は空であり、世俗諦から言えば有である。すべての法は性空でありながら妙有である。修行の初期には煩悩の濁気に対する防御力がないため、できるだけ世間を避けて修行し、自らを守るしかない。2、小乗の空を証得すれば防御力を得て、世間にあっても煩悩の境界に転ばれることなく、いわば防毒の鎧と遁世の力を得たことになる。自利であると同時に、利他の条件も整う。3、大乗の空を証得すれば、境界に転ばれないだけでなく、智慧と能力をもって境界を転じ、衆生の認識と業力を転換し、衆生の解脱を助け、世間を浄化し濁気を清めることができる。4、空を証得することの最終的な目的は、無漏の智慧を有為有用にすることである。ちょうど穀物から煩悩という籾殻を剥けば、白米が食べられるようになるのと同じである。

理を明らかにすることは難しいが、日常の身口意の細部において実践することはさらに難しい。細部の中にこそ、智慧あるいは煩悩の情報が自然に現れる。例えば、ある時私は年配の方に道案内をした。一階を通りかかったとき、作業員が床を拭いたばかりで、床は濡れてとてもきれいだった。私は深く考えずにそのまま歩いてしまった。後ろを振り返ると、その年配の方はついてきていなかった。振り返って見ると、その方はカーペットの上で何度も靴底を丁寧に拭いていた。床を汚さないようにするためだった。私が歩いた後には、黒い足跡が二列くっきりと残っており、私の愚かさと傲慢さを晒しているかのようだった。その瞬間、なぜその方が徳が高く尊敬されるのかが分かった。ある人の善と智慧は生まれつきのようであり、自然な靴底を拭くという動作一つで、私の長年の努力をはるかに凌駕していた。修行者としての自分が恥ずかしくなった。

——生如法師の開示
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金剛経講解・威儀寂浄分第二十九

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「如春」見道後の身心状態(一)

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